梶原相聞円坐  kajiwara soumon enza 

       

 

 

相聞円坐では…

 

 

守人は

時間と場所を設定し

円に坐る縁(ふち)を結界します

 

 

 

結界とは...

 

例えば、何もない山際の用水路を仕切ると、

いままで無かった別の世界があらわれます。

空気も、流れも変わって、

いままで見慣れた景色や、目の前の人.物.事、

いなくなったひと、もの、ことも、

たちまち新鮮によみがえってきて、

今まで見えていなかった景色があらはれ、

やがては、仕切りの内と外が縁で裏返ります。

 

それが、結界です。

 

 

 

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ひとの言葉、声、外からの音など、耳を澄ますと、

景色はうつろい始め、新鮮な空間があらわれます。

 

 

気持ちというものは、誰かとの関係の中で、はじめてうまれてくるもので、

あらかじめ準備をして、自分の意思でうまくコントロールしようとしても、

なぜか、ままならないものです。

 

ところが、たとえば、ふと、

相手の息遣いや仕草、何気ない所作や佇まいが、

なぜか、声や言葉と相まって聞こえてきた瞬間、

月夜の陰りのように、黒い雲と、冴え渡る月は、

まったくかけ離れた位相に存在していることが、目撃出来ます。

 

 

そもそも、

雲は、水蒸気の気圧が下がり、それまで見えない形で存在していたものが、

結露したり結晶化したりすることによって、上空を漂う白い雲となります。

乱層雲(黒い雨雲)は空全体を覆ってしまい密度も濃く光が透けにくくて、

空気中を漂っていられるのも、限界となり、雨や雪を連続的に降らせます。

 

 

内界の視界のなかではこのような気象現象と全く同じことが起きていてる、

とおもいます。

 

 

雨が降ると、大地はうるおい、草木は生え、川を流れる水となって、海へ。

 

月は、こうこうと、相変わらず、冴え渡り、

一滴の露は、ふたたび、白い雲となって、空を漂い、

時にぎゅっと黒い雲となって、太陽を覆い、月を隠して、雨を降らせます。

 

 

すると、どこからともなく、鳥の鳴き声がしたり

風で葉が擦れる音が鳴ると、

 

 

さっきまで聞こえず、見えず、まったく無かったはずの景色が、

いきいきと、新鮮に、語りかけてきたりすることが、あります。

 

 

奇跡の瞬間です。

 

 

内界の景色と、外界の景色が、いれかわり、

ぼやけた内側の視界が、一気に、変わる瞬間です。

 

 

だからといって、そうなることを期待して、何度も何度も、坐っても・・

 

景色はどんどんぼやけてきて、単にぐるぐると景色がまわっているのか、

自分自身が、堂々巡りをしているのか、見分けがつかなくなってきます。 

ぼやけたまんま、欠けたまんま、そのままの姿と景色で、お坐り下さい。

 

 

そして、風景は、

仄灯に揺らぎ変化する「もの」の方から、

語られます。

 

 

風景は、

自分がつくり出すような、はっきりとしたイメージではなく、

玉手箱(カプセル)のようなもので、

目にみえないものが、そのまま時空を越え、

もういない場所にも、いない人との間にも、

しみじみあらはれます。

 

 

時空を超えひとの消息を案じ歌う者の『言葉』を相聞歌といいますが、

時空を超え、ただの者となり、やがて・・

案じる相手や自分もいなくなり、

ただものの語る風景となるのは、

まさに、もののあわれです。

 

 

 

それは、

ありのままの自分を表現できる空間ではなく、

ものが語りかけてくる新鮮な空間であると思います。 

ご一緒できますご縁を、心よりお待ち申しあげます。 

 

 

 

松岡弘子