みなさま
2015年も名残り月。
もう12月になりました。
初詣したお正月の景色が、
昨日のように思われます。
今年最後の梶原相聞円坐は、12月24日(木)13:30~16
高槻市梶原のたけのこ文庫にてひらきます。
橋本久仁彦さんとともに、坐るご縁を心より、
梶原相聞円坐ウェブサイト
http://kajiwara-soumonenza.
・
梶原相聞円坐の守人橋本久仁彦さんからご案内の言葉を賜りました
「主体性と言う。その主体とは何か?
我々は個人として単独に存在しているのではない。
我々の知覚とは、私という主体と環境との出会いのこと。
主体とは、
そのつど生まれる意識である。
主体としての有機体が、客体(対象)
有機体が環境と出会うところ、その出会いの中で運ばれながら、
変換ミスで「舞い瞬」って出た。いい言葉だ。
この出逢いの時空間が壊れると、主体も同時に消滅する。
しかし、有機体が生きている限り、そこには時空間があって、
新しい主体が誕生している。
主体とは我々の確実な所有物ではなく、絶えず生まれ続けている「
我々は、他人や「もの」と出会うごとに、そのつど「主体」に「
相手が変わり、出会いの様相が変わるごとに、
我々はそのつど新たな「出会いの景色」に「な(成)って」
梶原相聞円坐のほの暗い空間は、毎月僕の主体の様相を変える。
月に一度、僕は必ず新たな景色に迎えられ、新たな「僕」に「な(
・
わたしたちはいつも、
目に見えない景色やものに照らされながら、
影と瞬時に響きあうたび姿形が浮き彫りになります。
そのままの「あらはれ」といいますか、
誰の心にも目には見えない「思い」があり、
一期一会の巡りあいのなか、ふとふれると
あるがままあらわれてくる世界があると実感します。
先日地元の保育園で影舞をしていた時、
ある5歳の子どもが、
「心でお辞儀するんやで」と、
当たり前に、ぽそっと言いました。
あ、そうだ。そうだった・・
手を床に着ける手の組み方や頭を下げる角度よりも・・
もっとさし迫った大切なことを、
きちっと思い出させてくれます。
相方が真剣でなければ、
誰だって悔しくて、腹もたち、
男泣きに悔しい気持ちにケリつけようと、
横顔は真剣そのものです、
自分に相対する時の、
相方に重量(存在感)なく、
元気を吸われただけだと、
気持ち悪いものですから。
いっぽう目に見えない秘めた念いが、
そのまま、シンプルに響きあう時は、
目にみえない「身体」がまず、あって、
それから、目に視える動きや形になるのと似ていて、
すでにみえない「身体」になにかが起きているから、
ふたりのあわいに、形や動きとなって、
「いのち」が生まれ、息吹き、
風が吹いてくるのでしょう。
目にみえない「身体」をないがしろにする者は、
放心したように、元気を急速に失い、
他者からエネルギーを奪わなければ、
おそらく生きていけないようになってしまうのでしょう。
身近な誰かのせいにしたり、
役に立つことでコントロールしたり、
死者を含め他者を思い通りに操ったり、
笑顔の仮面の裏で何かをされると、
過敏になり免疫機能ばかりが働きすぎて消耗します。
そこで影響がない位に離れることも、ひとつですが、
最近は消耗せず向き合うことも、
出来るようになり、
ずいぶん落ち着きました。
誰かと真剣に向き合った景色は、
やがてはそのまま風景となって、
道いく背中にあらわれるでしょうか。
そんな、いく年をふりかえりつつ・・
今年最後の梶原相聞円坐のご案内です。
ご一緒に、円になって坐るご縁を、
心よりお待ち申し上げております。
おかげさまで、こうやって案内させていただき、
今年も読んでくださってありがとうございます。
梶原相聞円坐守人 松岡弘子
・
今年も残すところあと数週間になりましたが、みなさま、
正直なところ、わたしはこの季節があまり得意ではありません。
お店のディスプレイの入れ替わりの早さに圧倒されて、
クリスマスの飾り付けとともに、
子どもの頃の12月はもっと楽しい気持ちになっていたような気が
大人になってから大晦日は切なくて切なくて、
いったいなぜなんだろうか。
こんなに切なくてやりきれない気持ちになるのは、なぜ?
よくよく考えると、
特にやることがいっぱいの年末はあれもしなくちゃ、
ああ、でも時間がない、ああ、まだ全然終わってないのに、
お願いだから、ちょっと待って~
それなのにわたしを置いてけぼりにして、
まわりのみんなはキチンとぜんぶ終わらせて、
わたしはまだこんなところでジタバタしている・・・
というところが、しんどいんだな、と、ある時気づきました。
そして、とうとう、
何もしなくたって年は明けるんだ、
子どもの受験を言い訳に、そんな年末を迎えること数年・・・
見ないふりをしていても、
このままではますます苦しくなっていくことを。
うわべだけはなんとか取り繕って新年をよそおってみても、
もぞもぞ落ち着かなくて、
今年こそはすっきりした気持ちで新年を迎えたい。
そう思って、12月に入ってすぐに家の中のあちこちを片付け始め
すると、
なんでこんなものを置いていたんだろうと思うものが出てきて、
でもどうしてもいままで捨てられなかった、 凝り固まった過去の
これ、もういいよね?
過去の自分にそうたずねて、ちょっと思いきって、
じゃあこれもという具合に案外簡単に捨てられたりして、
そしてそこにちょっとだけ風が通りはじめています。
捨てられなかったのは物だけど、物そのものではなく、
物を捨てているようで、
わたしがいままで目を背けて見ないふりをしてきたもの、
そしていま、苦しみながら向き合っているのは、
まだまだ自分と向き合う大掃除は続きます。
今年もまた大晦日にジタバタするわたしがいるかもしれませんが、
年末のひととき、梶原でゆっくり坐わりながら、
ご縁のありましたすべてのかたがたに心より感謝いたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
梶原相聞円坐言寄人 道佛 佳子
・
≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2015年12月24日(木) 13時30分~16時30分
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん (HP http://
◇ 参加費 : 3000円
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◇ 言寄人 : 道佛佳子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みなさま
こんにちは。
日が暮れるのがすっかり早くなってまいりました。
今月の梶原相聞円坐は11月26日(木)です。
露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
◆ 日 時 : 2015年11月26日(木) 13時30分~16時30分
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
梶原相聞円坐にて、
橋本久仁彦さんと共に坐るご縁を、
どうぞ心よりお待ちしております。
橋本久仁彦さんより、言葉をいただきました。
先月の円坐の景色が、言葉の仄灯に揺れながらよみがえってまいります。
言寄人の道佛さんからも言葉になるのをじっと待ち、
渾身の力を振り絞って、言寄せくださいました。
切なる調べの高鳴りを、
よかったらお読みください。
それではご案内です。
松岡弘子
・
先月の梶原相聞円坐。
夕方の、薄暗くなった、たけのこ文庫の部屋の中で、
坐衆の面々が、腹の底から言葉をつむぎます。
その圧力の中で、僕自身も口にしたいくつかの言葉を、手帳に書き付けました。
「自分が問いを立てて初めて実体が生まれる」
「『私』より『あなた』の方が『確か』である」
「自分の姿は見えないが、あなたの姿ははっきりと見える」
「あなたは確かにそこにいますよ。そしてあなたはいい存在ですよ。
私はあなたの居場所になりますよ。と『あなた』に言ってもらうことで、
『私』があると感じることができる。だから我々は『あなた』に対して、
「あなたは確かにそこにいる」という考えを差し出し続けている。
それがお互いに『私』が確かなものだと感じるためのルールである。」
「我々はまず「親」に見てもらい、聞いてもらい、意識してもらうその空間(言葉)の中に宿り、生きる。
このようにして人間(じんかん)の中に『私』として宿るやり方を身につけ、生き続けている。」
「『あなた』によって『私』や『自分』があると見なしてここにいる。」
「『私』にとっての『あなた』や『世界』が消えると、依りどころ(居場所)を失い、『私』も消える。」
「『私』とは『あなた』や『世界』の『居場所』である。」
また梶原の、かつての淀川の、葦の川原を幻視する薄日ほのかな空間に、
坐りに参ります。
梶原相聞円坐 守人 橋本久仁彦
・
先月のご案内で申しあげた景色が、
ひとつ、ありました。
そして、
そのまま円坐に坐り、
円坐の後も余韻がいまだ続いています。
言葉にするというのは、
表現力や表現の自由がないと、
出来ないというものでは、
どうやらないようです。
言葉とは、
いったい何なのだろう?
と、考えていました。
文章や文字が書けなくても、
言葉にすることはできます。
この、
言葉になる瞬間の、
そのほんのわずかの一瞬・・
自分というものが本当にいるのだろうか?
と、なぜか思うのです。
言葉はある種「見えないからだ」のようにも思えます。
円坐や影舞、縁坐舞台を通じ、
幾重に重なる位相の景色を眺めていくうちに、
ふと、向こうから、そのままこちらへあらはれてこようとしている「もの」が、
わたしを惹き寄せ、
からだをひらかせ、
歌う。
それが言葉であり
器でもある、
というのが、
いま現在みえてきた視界でもあります。
欠けている。
凹んでいる。
そのような言葉の持つ別の働きも、
いま探求しているように思います。
たとえば、
こちらからあらかじめ絵になる場所を想定したら、
向こうから囁く、かそけき声は消えます。
すると自分で全部を作りあげるしかなく、
言葉は意図的となってしまい、
身体と、見えないからだは、
乖離してゆくように思います。
先月、
言葉にしてから、
ゆっくり時間をかけて、
今まで向き合うことができなかった「もの=鬼性」と、
落ち着いて向き合うことが出来るようになりました。
いままでは、
言葉にすることも出来ませんでした。
それがいまや、
的確に証明できない何らかの欠けた感じも、
ただそのままあるものとし、
落ちついてその「もの」と向き合うことも、
ようやく出来るようになりました。
何かの存在として、
人や物という「姿」を通して、
そのまま、あらはれてくる「もの」と向き合う、
それは世阿弥の能『敦盛』のようでもあります。
亡き人を偲ぶ言の葉も
蝋燭に消えゆく言の葉
仄かに消えゆくたびに
いつかひとりゆく花道の
仄灯となるでしょう
人間五十年
化天のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり
と舞う、幸若舞における敦盛の姿も、
重なり込んでまいります。
梶原相聞円坐 守人 松岡弘子
・
ついこの間、近所の公園でたくさんの緑色の実を枝につけているどんぐりの木を見上げて、
今年も実ったなあ、いつになったら色づくかな?と思っていたら、
今日はこどもたちがあちこちに落ちている茶色いどんぐりを拾い集めて遊んでいました。
あっという間に夏から秋、そして冬に向かっていく様が、歳のせいでしょうか、
年々、速度が早くなっていっているような気がします。
先月、89歳になる伯父を見送りました。
14年前に先に他界したわたしの父の、ひとりきりの兄でした。
幼い頃は、お盆、暮れ、お正月と、ことあるごとにたくさんの親戚が集まり,
わいわいと過ごす田舎の本家の伯父でしたが、
わたしが嫁いでからは訪ねる回数も減り、
父が亡くなってからは親戚と顔を合わせる機会はさらに少なくなくなっていました。
十数年ぶりに懐かしい親戚の人々に会いました。
時計の針が一気に逆回転しました。
幼い頃の景色があちらこちらに浮かんできます。
走り回った広い畑や、お祭り、年末のお餅つき、お正月の終わらない宴会、獅子舞い…いつもたくさんの人がいました。
すっかり忘れていたはずなのに、その場にいた人たちの姿や声がよみがえってきました。
そして、ずいぶん長いこと会わない間に、
もう、誰が誰かわからないぐらい年月がたってしまったことを、改めて感じました。
わたしのなかの記憶は、ついこの間のように幼い頃のままで、
可愛がってもらったおじさん、おばさん、一緒に遊んでもらった親戚のお兄ちゃんたちなのですが、
みんなそれぞれに歳を重ねてしわが増え、髪が真っ白になっていて、会わなかった年月の長さをしみじみと感じました。
と同時に、わたし自身もまた、ずいぶん変わってしまったことを感じました。
すでに亡くなってしまった人たちの姿もたくさん思い出されて、
刻一刻とわたし自身もそちらの世界へ近づいていっているんだなという思いがわいてきました。
命には限りがあって、いつかこの世をさる時がくる。
小さな陶器に納める直前の伯父は、すっかり姿は変わっていましたが、いつもと変わらない笑顔で、
「どうや? これがおっちゃんの骨や。ええか、よー見とけよ。」
と言っているようでした。
89歳と思えないしっかりとした姿でした。
肉体はなくなっても、伯父はこれからもきっと、あとに残された誰かのなかで、確かに生き続けていくんだなと 思いました。
たくさんの存在に影響を受けて存在している自分もまた、
知らず知らずのうちにまわりに何かの影響を及ぼしているのでしょう…
少なくとも、一緒に暮らしている家族には。
わたしがいなくなったときにまわりの人々のなかに何が残るのだろうか。
伯父を見送る人々の会話を聞きながら、自分の命の終わりについて考えていました。
いまはまだ、自分がいなくなった後に、誰かに何かを思い出されることは恥ずかしい。
できれば何も思い出さないで、と思うぐらい。
それぐらいの生き方しか、わたしはできていない。
だから、まだまだあちらには行けないな。
そんな思いが体をめぐっています。
自分の命が残りすくなくなったとしても、
この世ではもう十分だと思える日はなかなかやってこないような気がしますが、
せめて、
この体があるうちは、
まずは目に見える存在として、正直に坐りたいなと思います。
梶原相聞円坐 言寄人 道佛 佳子
・
≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2015年11月26日(木) 13時30分~16時30分
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん (HP http://enzabutai.com/)・松岡弘子
◇ 参加費 : 3000円
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◇ 言寄人 : 道佛佳子
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
さいごまで読んでいただきありがとうございます
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
秋も深まり、
いかがお過ごしでしょうか。
今週の10月29日(木)、
橋本久仁彦さんに梶原へ来ていただきまして、
露(いのち)の円坐~梶原相聞円坐をひらきます。
http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
よかったら、
秋の梶原相聞円坐、ご一緒に坐りませんか。
ご縁をお待ちしております。
先日、
梶原の土地と出会い、
梶原の人とめぐり逢う、
貴重なひと時を過ごさせていただきました。
長年通った梶原で、
この夜、初めて見た景色は、
胸に迫る切なるものがあり、
心震え、
知らず知らず涙が出ました。
たけのこ文庫の奥、
梶原山と里の間の境地に、
安田邸の古民家があります。
そのお庭に、
一本のしだれ桜が佇んでいます。
「舞台は、庭の桜の下ですね」
安田邸のオーナーの方が、
そうおっしゃってくださって、
実現した貴重な一夜の宴でした。
ご近所に住むご友人のお父様の形見のラッパの音を奏でる約束、
果たすがために駆けつけてくれた仲間の人たちも義理がたく、
ありがたくて、
演奏に、歌、影舞、謡いと、
梶原の方々や、ご縁の方々と、
音連れる景色を純粋に楽しみながら、
景色がおのずと変わりゆくのをふと感じました。
裸足の足が秋の土にふれると、
桜は、もの凄いエネルギーで、
迎えてくれました。
梶原のこの一本の桜の木は、
この世のランドマークとなりました。
あらためてこの土地で、
円坐をひらく時間とご縁を大切にして、いきたいとおもいます。
どうぞよろしくおねがいたします。
くぅ 松岡弘子
・・・
皆様へ。
梶原相聞円坐のご案内です。
夕べは逢坂中之島縁坐舞台、影身公演がありました。
縁坐舞台と影舞を行いましたが、公演最後の影舞は、参加してくだ
ご夫婦のお客様による “民衆影舞” でした。
それは丁寧な、見事な舞いでした。
影合わせの曲は、沢田研二の『時の過ぎ行くままに』。
よく知っている古い曲でしたが、舞ったお二人の面影とともに
なんだか新たな曲として聞こえて来て、いい歌だな、と聞き入りま
影舞には、我々が長年その中に収まっている慣れた自己意識では、
取るに足らない小さな現実にしか見えないような事柄を、本来の、
貴重な真実の一部分として、新鮮に見せる(魅せる)作用があるよ
その新鮮な視界からは、我々の日常意識の裏返しとも言える興味深
主催の松岡弘子さんのご案内の言葉は、
影舞や円坐の視界を探求する者にとっては、味読すべき達意の文章
「誰かの言葉で、
誰かの呼吸に、
誰かの面影とともに、
刻々と変わっていく私は、
『誰かの生き残り』です。」
凄い文章です。
円坐も、縁坐舞台も影舞も、そしてミニカンも、
この文章の中に、円融一味の味わいとなって揺れています。
ありがとうございます。
コタツに独り坐って。 はしもとくにひこ
みなさま
梶原相聞円坐 ~空な かなさ~ ご案内を送らせていただきます。
今月は、29日の第五木曜日にひらきます。お待ちしております。
ずいぶん昔、
二十歳ぐらいの頃の私は、
アンベードカルに夢中でした。
かつてインドは、イギリスの植民地でしたが、独立しました。
しかし独立してもいまだ自由になれない人達が大勢いました。
そんな状況下、アンタッチャブルの一人として、
搾取され続けている人たちが生き変われるシステムを構築し、
既存のヒンドゥー教の因習やカーストの社会制度から離れて、
「空」を時間の概念としてとらえ直し、
「空即ちすべての事象は儚い」として、
浄土や本覚については言及せず、
儚いからこそ人は生きながら変化しつづけていくとし、
輪廻転生の宇宙的システムから離脱することを唱えた、
アンベードカルという人が、インド独立期にいました。
彼の事を知ったきっかけは、
恩師沖浦和光さんとの出会いでした。
自分では計り知れないほど、
沖浦さんとの出会いに影響を受けて、
お会いする機会がなくなってからも、
ずっとわたしの中に住んでいました。
七月に知人から不意に沖浦さんの訃報を聞いてから、
とうとう亡くなられてしまった、という思いと同時に、
まだわたしのなかに沖浦さんが、
アンベードカルが、生きていて、
その景色が刻一刻と変わり続けているのは、
不思議なことでもあり、
不思議ではないようにもおもえます。
梶原の円坐も、数々の景色を思い出します。
その景色が、いまも色褪せないのは、
風景となって、残っているからでしょうか。
頭の記憶は確実に無くなっていくのですが、
どんどん思い出されてくるのは不思議です。
秋は、いつしか景色のうつろいに、
瞼のうらの姿を忍ぶことが、
年を重ねるにつれ増えてきました。
この季節は特に、
いまここに、ありのままに生きるのだ!
とか言われると、混乱してしまいます。
自分をみつめ、
自分を感じて生きるとか、
理想や目標を持って生きるとか、
話し合って民主主義的に決めるとか、
混沌を法則化し合理化してしまうとか・・
なにか違う感じがしてしまい、
無理にそうするとしんどくて。
出来るだけ大きく距離をとって、
楽しい方へ、より面白い方へと、
ふと突き上げてくるものに動かされてしまいます。
この世は、今しかないなら・・
無限に、
自分の今を、
永遠に生きるしかないけれど、
ほんとうにそうなのだろうか?
生きてる人も、亡くなった人も、
いなくなって存在の仕方を変え、
わたしのなかに生き残っていて、
そんな存在の生き残りが、
わたしなのではないかと、
なぜかわからないけれどそう思ってしまうのです。
クリアにはっきりわからなくて、
考えると頭がキーンとしますが、
不思議と、腑に落ちるものです。
そして、
誰かの言葉で、
誰かの呼吸に、
誰かの面影とともに、
刻々と変わっていく私は、
「誰かの生き残り』です。
蝋燭の 仄灯りに、
消え入る 言の葉 ひとつ。
いにしえの 向岸、
片隅に 咲く花 ひとつ。
よかったら秋の風吹く梶原で坐りませんか。
10月の梶原相聞円坐は29日第五木曜日です。
たけのこ文庫でどうぞお待ちししております。
松岡弘子
≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2015年10月29日(木) 13時30分~16時30分
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん・松岡弘子
◇ 参加費 : 3000円
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◇ 言寄人 : 道佛佳子
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子
◇ 梶原相聞円坐ウェブサイト : http://kajiwara-soumonenza.jim
◇ 橋本久仁彦さんの公式HP : http://enzabutai.com/
最後まで読んでいただきありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
9月の露(いのち)の円坐
梶原相聞円坐は、
2015年9月24日(木) 13時30分~16時30分、
梶原たけのこ文庫に於きましてひらきます。
梶原相聞円坐のご案内申しあげます。
どなたでもどうぞ、お待ちしております。
橋本久仁彦さんから、梶原相聞円坐に、案内の言葉をいただきました。
道佛佳子さんからも、ご案内の言寄せ、いただきました。
「景色」は、その目や耳を見たり聞いたりできないように・・
その景色をうみだした意識を理解することはできなくて、
「景色」は、ただ景色で、ある、
と、ようやく景色のほうから見えてきたり、聞こえてきたり、するのでしょうか.
鳥の声が、不意に、聞こえてくるときのように・・
なにものでもないただそのものに礼拝し、
いずれ滅びゆくこの身と心で、
限られた、無限時空を、坐って参ります。
それでは、露(いのち)の円坐~梶原相聞円坐のご案内です。
・・・
『蓮(はちす)の露』という歌集のなかにある、
夢の世に かつまどろみて 夢をまた 語るも夢も それがまにまに
という歌における良寛の夢と現実を分けない景色は、
裏を見せ 表を見せて 散る紅葉
と、そのまま辞世の歌にもあらわれています。
ところがこれらの歌は、良寛一人で歌ったものではなく、
貞心尼の歌のお返しに詠んだ相聞歌であり、そのまま縁坐舞台のようでもあります。
そんな相聞歌を、聞き取り、『蓮(はちす)の露』に編み形見にして大切にした貞心尼。
くるに似て かえるに似たり沖つ波 立居は風の 吹くにまかせて
と詠んだ彼女のこの辞世の歌も、
また面影を慕いて詠んだ相聞返歌のようであります。
この呼応は「ミニカウンセリング」という様式にあらはれる多層の位相にもあらわれ、
その時空の景色は得も言えぬほど味わい深いものです。
ミニカウンセリングの様式とは、
相互に相手の時空を結界し、その15分間を録音し、
その空間にあらはれる、言葉や、息づかい、間や、沈黙、自然の音や、環境音を、紙にうつしとり、
15分の時空の実相を味わう様式のことです。
15分の録音と記録は相聞歌のように呼応しあっていて、
ふたりがそこにいた証しは、録音記録や逐語録ではなく、
ふたりがもうそこにはいない、という事があきらかになり、
15分という限りある人生の時間とふたりのいた場所だけが残り、
情景や景色は螺旋を描いて、転換しながらふたりは風景となって、
やがて場所だけが証しとなり、そして途切れない心だけとなります。
「相聞」における「残心の構え」は、シンプルですがとてもわたしには、難しい構えで・・
自身の黒い雲に覆われると、いとも簡単に聞こえなくなり、相手を見失ってしまいます。
「相聞」における「残心の構え」はなかなか身につかず、つい焦ったり、日々もがいております。
そんな半端もんの身ではありますが、
橋本久仁彦さんと守人を務めて参ります。
梶原相聞円坐ご一緒に坐るご縁を、
どうぞお待ちしております。
くぅ・松岡弘子
・
<< 橋本久仁彦さんから、ご案内の言葉です >>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
僕は、人様のお話を聞く、伺うということを
生涯の仕事としてきました。
一対一で対坐するミニカウンセリングしかり。
数名から十数名で長時間坐り続ける円坐しかり。
初めてお会いする方々の言葉を頂いてすぐ舞台空間を作る縁坐舞台しかり。
言葉や文字の奥深い体験に参入するにつれて、この仕事が、僕の短いひとつの生涯だけではなく
いにしえの歴史空間とその中に生きた人々の言葉を今、聞き辿るという「勤め」でもあることが分かります。
そして、今まで僕と同じ時空に生きていて、もう今はいなくなった方々の言葉を伺うということ。
あるいは、今までこの時空にいなかったのに、今は姿が見えるようになった方々の言葉が聞けるということ。
この景色は、自分が聞くという意識(自意識)から旅立って、ただ耳を澄まし、澄み切った数分間を往き、
「聞く自分」が「居・亡く」なって、向こうから、聞こえる(来・越え入る)時空へと参入すること。
意識の意がほどけて「け(気)」となり、
初めてけ(気)のしき(識)すなわち景色が、見える聞こえる「澄まし」の作法、
これがミニカウンセリングの15分間や、円坐や縁坐舞台といった「重ね」の様式の肝心要です。
京都と大阪を結ぶ淀川をはさんで、いにしえから京となにわの文化の境となってきた高槻・梶原の地には、
いまや新幹線など三本の鉄道線路が走って現代の結界模様を形作っています。
その地模様の中で開催される円坐に、「梶原相聞」の名乗りはいかにも奥ゆかしいことと思います。
雨の日は肌寒くなってきた初秋の空気の今日この頃、
相聞歌におのれの命を託した平安人の歌声を借りて、
梶原相聞円坐で因果を結ぶ「き・こえる」時空の、秋の歌垣を楽しむのも一興でしょう。
よろしければどうぞお付き合いくださいませ。
「秋の夜は 月に心のひまぞなき 出づるを待つと入るを惜しむと」
自分の意識で聞いてるつもりの心には「ひま」がなく、次はいつ出るか、ああ、もう入ったかと忙しい。
「秋の夜の 月待ちかねておもひやる 心いくたび山を越ゆらん」
愛の心で聞いてるつもりでも「自分の愛」は黒い雲、いくたび山を越えても届かぬ息の苦しさ。
「庭もせに 積もれる雪と見えながら かほるぞ花のしるしなりける」
ようやく自分の愛とは何の関係もなく、庭に積もった雪景色にただ心澄ませば、
たとえ自分の目には見えなくても、ひそかに香る匂いから、花の存在を疑わぬようになる。
「秋山の 清水は汲まじにごりなば やどれる月の曇りもぞする」
自分は必ず聞けるはず、人は認めよこの私の「善き思い」。
その自力心のゆえに、ひそかに香る花の匂いに気づけぬあさましさを知る人は
あえて清水を汲まぬもの。映る月の姿が曇ってしまうではないか。
「天の風 雲吹き払ふ高嶺にて 入るまで見つる 秋の夜の月」
やっと自分という黒い雲が見える高嶺に立ってみると、ただ秋の月が入るまで
淡々と見つめるおのれの姿は、涼しい天地の風のひとそよぎであった。
「山彦の こたふる山の郭公(ほととぎす) ひと声なけばふた声ぞきく」
聞き手が話し手の言葉を辿る心に二種あり。「辿る」自力から、「辿り」の他力へと。
鳥の声(越え)におのずから応えて澄み切る山彦を聞く心。
「梅の花 にほいを道のしるべにて あるじも知らぬ宿に来にけり」
花の匂いに心を澄ませて辿りたどりのみちのく旅。
たどり着いたは話し手も聞き手も知らぬ不思議の宿りと景色なり。
「ありしにも あらずなりゆく世の中に かはらぬものは秋の夜の月」
話し手も聞き手も無くなった15分間や縁坐舞台。
ただロウソクの炎やヒトガタの衣擦れに映り聞こえる面影は 時空を越えた変わらぬものの影かしら。
「秋の夜の 露も曇らぬ月を見て おきどころなき我が心かな」
また新しい円坐や舞台やミニカンの15分間が始まるよ。
ああ、今は雲のかからぬ白い月がそのまま見える。
それにつけても自分という雲の立ち去らないことよ。
今宵もこの美しい月明かりに足元を照らしてもらいながら、精々皆様のお邪魔にならぬよう
自分の影を辿らせていただきましょう。
梶原相聞円坐にて、いにしえの影辿りのひと時をご一緒できますご縁。
心よりありがたく、謹んでお待ちしております。
小学生の頃、『忍者部隊月光』っていうテレビドラマが大好きでした 橋本久仁彦
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・・・ 道佛佳子さんから、言寄せいただきましたご案内です ・・・
こんにちは。
あんなに暑くて寝苦しかったのに、ここ数日は夜は少し肌寒くて窓を閉めて寝ています。
みなさま、お変わりなくお過ごしでしょうか?
8月下旬、台風が2つ同時にやってきていた頃、わたしはちょうど15号直撃の九州地方におりました。
無事に目的地に着けますようにと願いながら、福岡から大分に向けて出発したのが25日の朝でした。
だんだん強まる雨と風に、福岡市内の電車は全線運転見合わせ、高速道路も通行止めになっており、
台風のさなかに車で移動することになるなんて全く予想もしていませんでした。
出発してすぐに立ち寄った大宰府天満宮では、境内の大きな木の枝が折れ、葉っぱが散乱し、
根っこから倒れた庭木もあり、関係者が総出で片付けをしておられました。
本殿の奥に広がる森の木々も強風で異様な揺れ方をしています。まるで何かが怒っているようです。
こんな日にお参りに来て申しわけありませんと手を合わせて、すぐに車に戻り出発しました。
通行止めで閉鎖された高速道路から、どんどんトラックが下りてきて、渋滞が始まっています。
冠水で通れない道を迂回し、さらに下道を走っていくと、
田んぼの向こうには雨雲が低く渦を巻いてすごいスピードで真横に流れて行くのが見えます。
これが台風の渦なんだなと思いながら南へ走ります。
折れて道路にはみだした木をよけながら、増水した茶色い川のそばを走り、ひたすら南へ。
途中、停電して信号が消えている集落をいくつも通りすぎ、当初の予定より数時間遅れてようやく大分県へ入りました。
目的地は別府温泉。雨の中、地獄と呼ばれる源泉をいくつも見てまわったのですが、
色の美しさや不思議な地形を素晴らしいと感じるよりも、明らかにそこは地球の中心につながっていて、
地球の底深くから沸いているものが見えているのだということの不気味さを強く感じ、
あらためて自然の力を見せつけられているように感じました。少し怖いとも感じました。
泥の温泉にも入りましたが、底に沈殿した熱い泥に足をとられてよろけながら、
その成分の強さにクラクラする気がしました。
大阪での普段の生活では、私は自然の力をそれほど強く感じることもなく、
感謝をすることもなく毎日を過ごしてしまっています。
旅は普段とは違うそこでしか見られない自然や町並みやそこに住む人々の暮らしを見る。
日常と違う空間に身をおいて、ゆっくりと時間を過ごしてみて、
自分の日々をもう一度思う。
それは月1回の梶原での時間と、どこか似ているなあ…と思いました。
あわただしく過ごしている日々を、数時間だけ切り取って、じっくりと輪になって過ごしてみると…
そこに何が見えてくるのか、何も見えてこないのか…
今回、台風をかすめて旅しながら、そんなことを思っていました。
よろしければ秋の気配のする梶原にて、ご一緒しませんか?
道佛 佳子
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≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2015年9月24日(木) 13時30分~16時30分
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん (HPhttp://enzabutai.com/)・くぅ松岡弘子
◇ 参加費 : 3000円
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◇ 言寄人 : 道佛佳子
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
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八月は、夏休みです。
次回の梶原相聞円坐は9月24日(木)13時半~16時半です。
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みなさま
みなさま
こんにちは。
今年の春は、雨がよく降りますね。
雨が降り出して、
軒下に身を寄せることを、
なぜ雨宿りというのだろうとふと、おもいました。
雨が降る間どこかへ身を寄せ宿ることで、
その場も雨宿りという場所になってゆくのでしょうが、
雨がいのちを宿す「場所」を雨宿りというのかもしれないと思うと、
それもまたなぜかしっくりくるなあと、最近思っています。
西国街道から、たけのこ文庫の横を山に向かって歩いていくと、
古い煉瓦塀の向こうから微かに軒下で揺れる風鈴の音がします。
すき間からのぞく庭園は、
ほんの一部ですが、
一部だからかもしれないですが、
奥行きのある庭の雰囲気に惚れてしまいました。
恋しながら、たけのこ文庫へ続く道を歩いていました。
築100年をこえる古民家の母屋と離れ、
庭には大きなしだれ桜の木があります。
ふしぎなご縁にむすばれ、
この春、安田邸のお庭の桜の下で、
この家と庭を守っておられる春田さんと、
近所にお住まいのご友人の方と一緒に円坐になって、
ご縁ある仲間と縁坐影舞の運びとなりました。
桜が喜んでいます。
いまも、じぶんの中に宿っています。
桜は二度同じ花を咲かせることはなく、
一度きり花を咲かせて 舞い散ります。
最初で最後の 花として。
4月23日高槻梶原のたけのこ文庫で、
春宿る 〜 いのちの円坐をひらきます。
ご一緒できますご縁をこころよりお待ちもうしあげます。
松岡弘子
・・・
≪ 春宿る ~ いのちの円坐 梶原相聞円坐2015 ≫
◆ 日 時 : 2015年4月23日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子
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三月は弥生月ですね。
二月のたけのこ文庫は、垣根の椿が客人をお迎えし、
部屋には椿二輪とふきのとうが、いけてくださってありました。
弥は「いよいよ」
生は「おい」。
草木も生い茂り始めるというような意味で、
「いやおい」が、やがて「やよい」と呼ばれる様になったそうです。
今日からうちの裏の家が、解体され始めました。
朝洗濯物を軒先に干しながらふと枇杷の木のむこうに紅梅が、
裏の家の庭にひっそり咲いていました。
住む人のいなくなった家の庭は生い茂る静謐の森のようでした。
ところが、
洗濯物を終え玄関から入りかけた時、電動ソーの音が鳴り始め、
ブーーンブーーンブーーンと機械音が、朝の空に響くと、
紅梅を見ていたとことも、うすれかけていたその時、突如、
真っ暗な海に、紅梅の花が映り込んできました、ひっそりと・・。
夕方裏の家の庭を見てみると、まだ、梅の木はありました。
地面には、電動ソーが置いたままです。
かれこれ21年前、
春のお彼岸の朝、
ちいさな命が、わたしのからだを通って、生まれました。
眩しい姿と切ない泣き声が愛しくて。
散りて咲くは、いのちの名前ですね。
菜の花も咲き、
春のお彼岸も明け、
桜のつぼみもほころぶ頃でしょうか。
梶原のたけのこ文庫にて、
露(いのち)の円坐 ~ 梶原相聞円坐2015 をひらきます。
ご一緒できますご縁を、こころより、お待ちしています。
松岡弘子
・・・
≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 ≫
◆ 日 時 : 2015年3月26日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木麻由子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子
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年が明け一ヶ月となりましたね。
新年いかがお過ごしでしょうか。
今年もあっという間の一年で、
この、やまの仲間達と最後の時間です。
じーっと透き通る瞳でみつめる子もいれば、
話をしながら横目でチラチラみてたり、
そっぽ向いて楽しそうに何かに興じてたり、
どの子もひとりとして同じ姿で『影舞』を見ていないのです。
おとなの真剣に向き合う姿を、
結局、ふたりはカゲマイはしませんでした。
周囲の空気にあわせることなく、
部屋の片隅にいた子は、手を床につきお辞儀をする姿勢になり、
もうひとりの女の子は、からだを斜めに向けて、向き合いません。
そこで「相手に腹を立てて怒ってるなら、
今は向き合って、お辞儀をしてください。
くぅの言葉を聞いてほしい。
くぅとも、向き合うねん。これが、今日の最後の舞台やで。」
すると、ふたりは向き合いお辞儀をしました。
部屋の片隅にいた子が、先に膝を立て手を差し出し、
もうひとりの女の子は、
すると、さっと手を出し、目の前の手にふれたのです。
「喧嘩したらアカンってくぅは言わへん。
思いっきり喧嘩したらいい。
おさえたらあかんで。
仲直りなんか無理にせんでいいから思いっきりやり。」
部屋の片隅にた女の子の内側にずっといきている、
松岡弘子
・・・
≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 ≫
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木麻由子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
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年が明け一ヶ月となりましたね。
新年いかがお過ごしでしょうか。
今年もあっという間の一年で、
この、やまの仲間達と最後の時間です。
じーっと透き通る瞳でみつめる子もいれば、
話をしながら横目でチラチラみてたり、
そっぽ向いて楽しそうに何かに興じてたり、
どの子もひとりとして同じ姿で『影舞』を見ていないのです。
おとなの真剣に向き合う姿を、
結局、ふたりはカゲマイはしませんでした。
周囲の空気にあわせることなく、
部屋の片隅にいた子は、手を床につきお辞儀をする姿勢になり、
もうひとりの女の子は、からだを斜めに向けて、向き合いません。
そこで「相手に腹を立てて怒ってるなら、
今は向き合って、お辞儀をしてください。
くぅの言葉を聞いてほしい。
くぅとも、向き合うねん。これが、今日の最後の舞台やで。」
すると、ふたりは向き合いお辞儀をしました。
部屋の片隅にいた子が、先に膝を立て手を差し出し、
もうひとりの女の子は、
すると、さっと手を出し、目の前の手にふれたのです。
「喧嘩したらアカンってくぅは言わへん。
思いっきり喧嘩したらいい。
おさえたらあかんで。
仲直りなんか無理にせんでいいから思いっきりやり。」
部屋の片隅にた女の子の内側にずっといきている、
松岡弘子
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≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 ≫
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木麻由子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
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みなさま
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2014年12月 ≪ 甲午師走 梶原相聞の杜(ミニカウンセリング) ≫ の ご案内です。
各位。
「師走」の言葉でご案内をする季節がまた巡って参りました。
僕は、12月25日に大阪・高槻市に参ります。
坐の主催は、長年、即興劇団まざぁりぃふを率い、
現在開講中の石切円坐守人研鑽クラスでも、切磋琢磨を続けておら
それぞれお子さんを育てている最中のお母さんでもありますが、
「母親」が、真剣にひとつの道を歩むと決意したその姿の凄まじさ
僕はまざぁりぃふのお二人や、これまでに出会った「母たち」から
今回は、お二人が精魂込めて醸成してこられた「梶原相聞の杜(も
お二人や坐衆の皆様の胸をお借りして、「ミニカン」の逐語作品を
思います。
よろしければ師走の日の午後を、ご一緒いたしましょう。
趣味はミニカン読書 はしもとくにひこ。
こんにちは。松岡弘子です。
今月の12月25日は、たけのこ文庫で、
橋本久仁彦さんにお越しいただきまして、
相聞の杜( ミニカウンセリング )をひらきます。
ある日のこと、
しらず夕焼け空を見あげると、
誰かに呼ばれているような気がしました。
父といれかわるように、息子がお腹に宿り、
時が経ち、息子と一緒に、梶原へ通う日々。
「お母さん見て、梅干太陽や。お目目が酸っぱいわ」
と、大きな西日に目を潤ませて話す息子の声と姿が、
今も、いつも、新鮮に、いきいきと思い出されます。
幼かった息子の送り迎えの、かけがえのない15分間。
空は、
娘としての、
母としての、わたしでもあって。
大阪と奈良の間に所在する、石切の橋本久仁彦さんの円坐基地にて、
相方の青木麻由子さんと15分間のミニカウンセリングをしました。
「15分間、よろしくお願いします。」
真剣に相手に耳をすまし一緒に過ごした(=棲んだ・住んだ)時間と空間。
その音源と15分間をうつし記した作品を、
梶原で、はしもとさんの語る景色とともに、
円坐で存分に味わってみたいとおもいます。
わたしは石切の空を見あげ、
相方と一緒に過ごしました。
今年最後の梶原は、
橋本久仁彦さんの梶原相聞の杜です。
高槻は逢坂と京の都の間に在り、
梶原は西国街道沿いの集落です。
西国街道沿いの古民家たけのこ文庫にて、
ご一緒できますご縁をお待ちしています。
松岡弘子
・・・・・・・
たとえば、今から15分間はあなたのお時間です。
ご自由にお話したりお過ごし下さい。
と言われて、さらにほったらかされるのではなく、ピタ〜っと横について ただ聞いてくれる人がいたら。
否定も肯定も質問も意見も入れずただただ聞いてくれるとしたら。
この15分間に私の中からいったい何が出て来るのだろう。
聞いてくれている人に何かを伝えるために話すのではなくて、説明するために話すのでもなくて、自分の中に「ある」世界が時間をかけて言葉になって出てくる様子を、聞いてくれている人と一緒に ただ待っていると。
さっきまで「ない」と思っていた物が、今この瞬間影を落とすように立ち現われ、その輪郭を丁寧になぞってみる。
それを一緒になぞるように聞いてくれている。
この時間は…。
そこにどんな世界が立ち現われて来るのか。
相聞の杜で、探求してみませんか?
今年最後のピッコロふりぃすぺーすです。
ご一緒できるご縁を楽しみにお待ちしております。
青木麻由子
・・・・・・・
≪ 甲午師走 梶原相聞の杜 ≫
◆ 日 時 : 2014年12月25日(木) 13時~16時
◇ 相聞の杜 守人 : 橋本久仁彦さん http://enzabutai.com/
◇ 相聞の杜 作品 : 松岡弘子・青木麻由子
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 3500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子
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◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木麻由子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子
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この場にいないひとたちも、たくさんやって来られました。
それはこの場に居てくださった方々のご縁と申しましょうか、
いないから、さびしい、かなしい・・など喪失感からではなく、
そのひと達の面影は灯火のように、
かそけく揺らぐように存在していて、
内側からわたしたちひとりひとりを照らし、
すぐそばにいるような、気配をずっと、肌で感じていました。
『相聞円坐』は、まさしく、そんなひとりひとりの身のうちが、
場所と呼応し始め、
内が外にひっくり返ったかのように土着し始めます。
秋の宵のねこじゃらしと川の景色に、彼岸を見ながら、
大事なひとや、仲間や、家族のことを想っていました。
相聞のご縁、まことにありがとうございました。
秋の梶原相聞円坐は10月23日木曜日です。
青木麻由子さんが守人をつとめさせていただきます。
ご縁ある方と梶原の小さな庵の円坐にて、
ご一緒させていただきたいとおもいます。
わたしは・・・父の命日なので、参加者のひとりとして、
内側の等身の声に耳を澄ませてみたいとおもいます。
この日を今から楽しみに、お待ちもうしあげております。
松岡弘子
・・・
こんにちは。青木麻由子です。
≪ 秋 甲午神無月 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2014年10月23日(木) 13時~16時
◇ 相聞円坐守人 : 青木麻由子
◇ 世話人 : 松岡弘子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gm
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiw
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2014年 9月 ≪ おもかげでせうか 甲午長月 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です
みなさま
こんにちは。松岡弘子です。
甲午長月 梶原相聞円坐のご案内です。
このたび、おかげさまでお盆を迎えまして、
梶原相聞円坐はまた新しい年を迎えました。
いままでの時間は、たっぷりゆっくりでもあり、
また違う尺では、あっという間の時間でもあり・・
時間の感覚は尺によって如何様にも変化(へんげ)するのですが、
ただ毎月、時間と場所を結界することによって刻まれた、
梶原での「場」は、たしかに内の世界にはずっとあって。
知らず知らず、この場を棲みかとして、
毎月のご案内を、それぞれの言葉でしたためています。
そんなわたしたちもお盆を迎え、
梶原相聞円坐と共に歳を重ねているのです・・
どうやらそうみたいです。いま、気づきました。
いったいわたしたちの関係性に、
なにが、起きているのでしょうか。
この夏はわたしにとってとても大きな節目で、
いったい、なにがわたしに起こっているのか、
自分ひとりでは曰く言い難いような景色ではあるのですが、
「自分」というものは、じつは、なんにもなくて、
わたしという島をとりまく海がわたしの本体で、
潮と潮がぶつかりあうところにエネルギーがうまれ渦(うず)となり、
あらたな潮の流れがぐんぐんうまれてきている、そんな今の景色です。
梶原は淀川で大風のため梶(=舵)が折れ帆も失ってしまうほどで、
帆無梶折邑(ホナシカジオリムラ)と呼ばれるようになった土地です。
ご縁ある方と梶原の小さな庵の円坐にて、
ご一緒させていただきたいと、おもいます。
こころよりお待ちもうしあげます。
松岡弘子
・・・
≪長月(9月) 梶原相聞円坐 ≫
のご案内です。
8月は夏休みをいただき、次の円坐は9月となります。
みなさまお健やかにお過ごしでしょうか。
気象が激しく唸りをあげています。
落ち着かない日々を過ごしています。
何だかここ最近ソワソワしています。
お尻の下がモゾモゾしていて、重い荷物を載せたカゴを頭に載せて運んでいるみたいです。
たっぷり深呼吸をしてゆっくり前をみて歩いても、すぐにこの感覚は襲ってきます。
これは私個人の身体の症状ではなく、きっと今存在している地球からの共鳴反応なのではないかと思います。
だからこそ、上滑りな事は出来ないなと思います。
ただ単に表面的な体裁、お金、プライド、目先の事の為に動けないなと思います。
ソワソワ、モゾモゾ、重苦しい何か、をちゃんと感じて、受け取って、じゃあ私は何をするのか。
そんな風にちょっとずつ動き始めてみようとしている今日この頃です。
今、次の季節を元気に生きれる事が分からず不安な時代だとおもいます。
だからこそ大事に大事に、やって行きたいなと思います。
円坐は自身のそういうところにアクセスする貴重な時間になっています。
9月の円坐でご一緒出来るご縁を有難く楽しみに願います。
青木麻由子。。。
≪ おもかげでせうか 甲午長月 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2014年9月25日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木麻由子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子
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2014年 7月 ≪ 初蝉時雨 甲午文月 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です
みなさま
こんばんは。今夜は蒸し暑いですね!
七月の梶原相聞円坐 のご案内です。
昨日の七夕から一匹の蝉が鳴き始めました。
蝉の声を聞くと、
赤ちゃんに、呼ばれているような、
これは記憶なのか、思い出なのか、反応なのか・・
正確には区別がつかないのですが、確かに、わたしのなかに刻まれています。
朝から蝉がものすごく鳴いていたある日、
真夏の大暑の宵に男の子が生まれました。
赤ちゃんの声と蝉の声は、
周波数が似ているのでしょうか。
そんなことはないかもしれませんが、
愛しくも、切なく、胸が痛むような、かすかな響きで、
おもわず姿をさがすような、感じがよみがえってきました。
産声が聞こえた瞬間、
初めての出合いでもあり同時に、
最初の別れの瞬間でもありました。
そういえば、
わたしのうまれた日は、
お盆で終戦記念日でもありますが・・
父母のふるさとでは、阿波踊りの最終日でした。
わたしの産声も・・
わたしの声を聞いたひとの中に、
刻まれているのでしょうか。
うまれた瞬間、
正と死の最初のはじまりの息をふるわせて以来、
わたしも旅の途中です。
≪ 初蝉時雨 甲午文月 梶原相聞円坐 ≫ よかったら、ご一緒しませんか。真夏の梶原にて、お待ちしています!
松岡弘子
・・・
≪ 文月 梶原相聞円坐 ≫
のご案内です。
我が家の玄関通路横の紫陽花とハーブがが、両脇から勢いよく伸びて道を塞ぎ、雨の日には通るだけで荷物ごとびしょ濡れになります。
最小限の濡れで通り過ぎようとあたふたとしていると、ヤブ蚊や蜘蛛の巣が襲ってきます。
この仕打ちに苛立ちを抑えきれない思春期の娘は、ただいまより先に非難轟々怒りを母親にぶつけます。母親にすれば思いもよらぬ仕打ちです。
いや、実は思いも寄らない事はなく、数時間前に通った時に同じ思いをしたので、後で葉っぱを切ろうと思いながら、お昼ご飯の準備をしていて忘れていた事は横に置いて、怒る娘の言動に対して更なる怒りをぶつけ返します。
娘はプンプン怒りながらハサミを持って外に出ます。
家庭内に不穏な空気が流れるまま、土曜日の午後はすぎて行きます。
娘は無言で又出かけて行き、母親は自分の言動に反省モード。
イライラ怒りが込み上げる時は相手の事だと疑いもしないけれど、キーワードをきっかけに、自家発電しているのですね。そして見事に同化する。
私はカメレオン。あなたもカメレオン。
単細胞生物であり 人であり 宇宙…。
次にあった時にはどんな風に動き変化して行くのかは全く予想出来ません。
だから面白いですね。
6月の梶原相聞円坐は、蒸し暑い空気から、突然の大雨。窓から見える景色が方角に寄って様々で別々の絵画のようでした。少しすると涼しい空気が入ってきました。この感じを意識とは別の何処かでなんと無く予測して参加したという参加者の方も居ました。不思議ですね。
そして雨は上がり、雨上がりはキラキラと光りました。
7月の梶原相聞円坐は、如何な模様が見えるのでしょうか。
ご一緒させていただきます。
青木麻由子。。。
・・・
≪初蝉時雨 甲午文月 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2014年7月24日(木) 13時〜16時 ※毎月第四木曜日
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木麻由子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子
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2014年 6月 ≪ 蛍流 甲午水無月 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です
こんにちは。松岡弘子です。
庭や道端は、ドクダミの花盛り。
純白の可憐な花は、紫陽花と同様、
梅雨に日本の何処でも見られる花ですね。
なぜかふと郷愁に似た思いがつのるのは、
きっと変わらず純白な花を咲かせる姿に、
物言わず、耳をすませてみつめる、
まなざしを感じるからでしょうか・・
高槻の奥地・樫田や成合の川沿いでは、
蛍が舞う季節です。
梶原では姫蛍もみられるそうです。
梶音に耳をすます織姫様の
化身かも、しれないですね・・
梶原相聞円坐のご案内です。
どなたでもどうぞ、
ご一緒できますご縁を、
楽しみにお待ちしています!
松岡弘子
こんにちは、青木麻由子です。
6月7日、朝。
雨が降ったり止んだり、
今日は2ヶ月に一度の研修会、
朝は涙ちょちょぎれそうになりながら慌てふためいて用意して家を
暫し、石の上に座ってぼーっと空を眺める。
損をしたのか、得をしたのか。
時間の流れが大きくかわる。
おぉ~~。今居る場所、今居る状態、前をみて焦っていたり、
あっち向いたりこっち向いたり。
ま、えっか!と手足を投げ出してみたり。
そんな自分を、ちょっと離れて指でなぞってみたら、
梶原の坐でご一緒しましょう。
青木麻由子。。。
≪ 蛍流 甲午水無月 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2014年6月26日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木麻由子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子
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2014年 5月 ≪ 山の藤 甲午皐月 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です
5月相聞円坐のご案内です。
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2014年 4月 ≪ みをつくし 甲午卯月 梶原相聞円坐 ≫ の ご案内です。
みなさま
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2014年 3月 ≪ おとづれ 甲午弥生 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です
みなさま
こんにちは。
今月27日木曜日は、
地元の絵本文庫での小さな相聞円坐です。
春の萌しに、長い寒い冬も、もうすぐ明けそうですね。
たけのこ文庫はとても冷えます。
だからでしょうか・・
ストーブやカーペットや毛布の暖をわけあって、
あたたかい飲み物や、さしいれの美味しいものをいただきながら、
静寂のなかにあらわれてくる、音や声や言葉のおとづれと、
ただ、そのまま沁み沁み過ごす相聞空間は、
味わい深くて。
ありがたいです。。
さて今月の梶原相聞円坐は、
耳をすますと・・
どんな音や言葉、
そしてどんな人や場が、
聞こえあらわれてくるのでしょうか・・
相聞の円空間、
ご縁の円坐をご一緒しませんか
どなたでもどうぞお待ちしています
松岡弘子
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◆ 日 時 : 2014年3月27日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木まゆこ
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木まゆこ
さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子
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2014年 2月 ≪ 春節 甲午如月 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です
みなさま
こんにちは。
先週訪れた長崎の中島川には、
春節祭の準備にランタンが色鮮やかにつるされ、
川面に陽も影もせせらぎ春の兆しを感じました。
今回の長崎相聞円坐に参加し、
長崎に出会い、
地元で相聞円坐をひらく大事なエネルギーも、
たくさん受け取ったような気がしています。
旧正月も明けまして、今月27日木曜日は、
地元の絵本文庫での小さな相聞円坐です。
耳をすませば・・
どんな音や言葉、
そしてどんな人や場が、
聞こえあらわれてくるのでしょうか・・
相聞の円空間、
ご縁の円坐をご一緒しませんか
どなたでもどうぞお待ちしています
松岡弘子
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≪ 春節 甲午如月 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2014年2月27日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木まゆこ
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木まゆこ
さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子
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2014年 1月 ≪ 新春 甲午睦月 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です
みなさま
新年あけましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりありがとうございました。
昨年で梶原円坐(非構成的エンカウンターグループ)は、
いままでおかげ様で、60回開催させていただきました。
円坐一回を人間の歳でかぞえていきますと、還暦です。
ほんとうにありがたいご縁、誠にありがとうございます。
更に昨年はミニカウンセリングの様式を作法としまして、
新たな試みとして、相聞の杜を通年開催いたしました。
聞く、聞こえる、聞こえてくる、景色を円坐で味わい、
それぞれ瞑目し目を凝らし、冥耳し耳を澄ましました。
幾重の位相が、ゆたかに遠近の景色をうつし出し、
在と無、外と内、始まりと終わり、音と言葉など・・
鬼と畏れられたある歳老いた棟梁の背中に、
味わい深い、枯れた男の色香が漂うように・・
不器用でも、愚直でも、現場で必死で耳と目を凝らすと、
分かつことのできないありとあらゆる現象の心の風景や、
普遍的な風景との対話を味わう豊かな間が現れてきます。
いくら自由や平和といった口当たりのいい理念を掲げても・・
人と土と、
この風景、
この風土を離れてしまっては、
民草の魂はうかばれないのでは、ないでしょうか。
今年からは、新たに梶原円坐と相聞の杜を融合しまして、
毎月、第四木曜日に、『梶原相聞円坐』と改め称しまして、
梶原円坐と相聞の杜の経験を活かし更に精進いたします。
いままでの、深きご縁に深謝いたしまして、
新たな歴史の流れに身を置いてまいります。
ご一緒できますご縁をお待ち申し上げます。
松岡弘子
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こんにちは。
初春のお慶びを申し上げます。
2014年が動き始めました。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
たけのこ文庫に円坐で座りはじめて60回、この間にそれぞれの中で色んなドラマがありましたね。
今年もどんな出会いや経験が出来るのかまったく予測不可能ですが、面白そうな事を見つけたら、出来るだけ寒さに負けず、あれこれ考えず、エイヤーッと外に出て行きたいと思います。
1月からのたけのこ文庫は
「梶原相聞円坐」
と題しまして、更に色んなものに耳を澄ます場を深めてまいりたいと思います。
スピードにのってすぎてゆく日々に、ひと時、深い波をきざむような、そんな時間をご一緒出来たらと思います。
今年もよろしくお願いします。
青木麻由子
≪ 新春 甲午睦月 梶原相聞円坐 ≫
◆ 日 時 : 2014年1月23日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子
◇ 世話人 : 青木まゆこ
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 500円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木まゆこ
さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。 松岡弘子