みなさま
梶原相聞円坐のご案内です。
 
梶原相聞円坐は「さいごの円坐」となります。
 
 
 
橋本久仁彦さんより、言祝ぎいただきました。
心より感謝申し上げます。
 
2月25日(木)椿の花咲くたけのこ文庫にて、
「さいごの円坐」共に坐るご縁、お待ちしております。
 
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


梶原相聞円坐が、
「さいごの円坐」になるそうです。

梶原相聞円坐守人の松岡弘子さんは、
影舞の「あわい」にあるものは言葉である、と言われました。

それを受けて仏教の始まりについて思いました。

お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開かれたとき、そのまま言葉を発せず黙っておられたなら、
この世に仏教は現れませんでした。

しかし、無上等正覚、私はこの上ない悟りを得て仏陀になった、と名乗られたので、
その言葉を辿り、その言葉の中に生きようとする仏弟子達が後に続き、この世に仏の教え、
仏教があることになりました。

おかげで二千五百年たった現代に住む我々でさえ、その言葉を辿ることができます。

言葉を辿ると、我々の身体がその言葉の響きになります。

言葉が響き渡る時空間は、過去も現在も一つに結ぶ時空連続体です

影舞のあわいの「言葉」は、「異場」であって、異なる時空間が重なってくる重力場です。

これが縁坐舞台や円坐と僕が呼んでいるものです。

梶原相聞円坐はさいごになりました。

が、最初のときからさいごの円坐を坐っておりました。


松岡さんの言葉、坐るの「す」は素のまま、「わる」は成る。


お釈迦様は、苦悩を解決する道を悟らねばこの坐を立たぬと、木の下に坐られました。 

そして仏陀になったという言葉を口にされ、その響きは二千五百年の間、人から人へと鳴り(成り)続けています。

梶原相聞円坐、さいごの円坐を心よりお祝い申し上げます。


         梶原相聞円坐 守人  橋本久仁彦
 
 
 
 
 〜 さいごの円坐 〜 
 
 
影舞をしているふたりの間(あわい)の「もの」は、
いったいなんだろうか。
 
やはり・・
それは「言葉」であるとおもいます。
 
ふたりのあわいの言葉というか・・
ふたりがいなくなり、
ひとつの空間になっていくような、
そのような言葉をして、
ものの素性と言ってみたい。
 
なぜなら、
この影舞の間(あわい)の「言葉」は、
なにかを説明したり、
気持ちを伝えて表現するときに使うものではなく、
ふたりの間にあらはれる空間そのものな気がしてならないからです。
 
ふたつに分かれた身体は、
隣りあう別個の存在から、
自分の中心より一番離れた端っこ、
「あわい」の空間に住む身となってゆき、
そのことで空間が新たにあらはれはじめます。
 
ミニカンのように、
できるだけ混じらぬようそのまま唱えてゆくと、
向こうからそのまま辿られてくるようになって、
やがて無常空間へと辿り着くのと同じなのでは
ないでしょうか。
 
このような無常空間の「言葉」は、
目には見えないし、
手を伸ばしても直接触れられないが、
時空を越える命そのものが宿ります。
 
 
今月は梶原相聞円坐、さいごの円坐てす。
 
 
坐るの「す」は素のまま、
「わる」は成る。
 
 
一滴の露、
そのままいのちとなる・・
 
さいごの瞬間まで、
この場所で坐らせていただけますご縁、
しみじみとありがたき幸せ、
深謝いたします。
 
 
松岡弘子
 
 
 
≪ 露 (いのち)の円坐 梶原相聞円坐 ≫
 
 
◆ 日 時 : 2016年2月25日(木) 13時30分~16時30分
 
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
 
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん (HP http://enzabutai.com/)・松岡弘子
 
◇ 参加費 : 3000円
 
◇ お申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 
 
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

 

みなさま
 
 
今月の梶原相聞円坐は、
1月28日(木)13:30〜16:30
"高槻市梶原 @たけのこ文庫" です。


橋本久仁彦さんと共に、
相聞空間を坐るご縁を心よりお待ちしております。

 < 今月のご案内です >
 
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~「化け物」と呼んでいただいて~
 
先日の愛知県豊田市での場をひらく人講坐でのこと。
地元で場を開いておられる男性が語りました。
僕が聞き得た大意は次の通りです。
 
「私は小さい頃から天邪鬼だった。人と違うことをしたく、人と違う自分を感じていた。
しかし、やがて、そのような生き方は「追い風が吹かない」つまり、周りから求められていないことが分かってきた。
だから人々のニーズに合わせ、自分はその媒介となって、自我を消して往く生き方を選ぼうとしてきた。
ところが豊田市で活動する吉橋久美子さんと出会って影響を受け、
彼女からの案内で今回橋本さんと一緒に過ごすことになった。
今思うのは、二人は化け物だということだ。
私は人々の媒介者になろうとして、なんか、どこか違うな、と感じ始めていた。
そうか。吉橋さんや橋本さんがやっているような場を開くには、(自分自身という)化け物にならないとだめなんだな。
そう思いました。」
 
化け物と言われて、僕はうれしく思いました。
 
彼が「人々や社会のニーズを体現する媒介者」ではなく、
世界でたった一匹の天邪鬼=「化け物」になっていく姿を見てみたいな、と心から思いました。
 
ところで、僕にとって身近な仲間である坐・フェンスの面々とは、時にお互いを「鬼」とか「蛇」などと呼び合います。
 
真剣に付き合えば、お互いの中に鬼が暴れ、蛇がとぐろを巻いている姿が見えます。
我々は戦争の尽きないこの地上の住人なのですから、この世界に見えるすべての要素はわが身の中で
確認することができます。
 
人が躍動する場作りを仕事にしている僕の「場」には、いつも鬼と蛇が坐っています。
 
「人」として在る我々と、人と人の間(人間)に棲みついた醜い(見にくい)生き物が、
僕が出会い続けている相手です。
 
豊田から帰宅して、化け物と言われたことを同じく円坐を仕事にしている娘と話していたら、
横で聞いていた僕の妹が笑っているので、問うと、
 
「化け物ってさっきから言ってるけど、
円坐の話ばかりしている二人は「場ケモノ(場の獣)」やなと思ったらおかしくて・・」
 
ああ、円坐守人とは、「場獣」であり、鬼や蛇であったのか。
ファシリテーターやカウンセラーという「追い風が吹く場所」からはるか下界、地獄の一丁目まで転落して参りました。
 
自分のからだが納得しています。身内からふつふつと、もっと円坐の場に身を置き、
野生のままに振舞って生きてみたいという情熱がわいて参りました
 
梶原相聞円坐、今回は野獣と場獣が密林を駆け回る地獄の円坐です。
 
                
 
                   実は戌年の獅子座生まれ   橋本久仁彦
 
 
 
 
〜 光景と景色・風景
そして「もののあわれ」 〜


昨年最後の相聞円坐は、
いままでの梶原相聞円坐の、
総決算のような時空でした。


ありありと光景が目に浮かぶようだという「光景」について考えていました。

光景には場面(シーン)とストーリーがあって、
状況描写もしっかりしていて、
光景をつくり出す話しの仕組みには、
目の前の事のように印象づける働きがあるように思います。


景色というのは、
たとえ天国の景色であろうと、
鬼気迫る地獄の景色であろうと、
おそらく見ている者のまなざし(色)が、
ひろがる眺めに映り込んでいるから、そうなのだとおもいます。



いっぽう風景は、
仄灯に揺らぎ変化する「もの」の方から、
語られます。


風景は、
自分がつくり出すような、
はっきりとしたイメージではなく、
玉手箱(カプセル)のようなもので、
目にみえない「もの」が、
そのまま時空をこえ、
もういない場所にも、
いない人との間にも、
しみじみあらわれます。


時空を超えひとの消息を案じ歌う者の『言葉』を、
相聞歌といいますが、
時空を超え、ただの者となり、
やがて・・
案じる相手や自分もいなくなり、
ただものの語る風景となるのは、
まさに、もののあわれです。

それは、
ありのままの自分を表現できる空間ではなく、
ものが語りかけてくる新鮮な空間であると思います。



それでは今年もどうぞよろしくおねがいいたします。



松岡弘子
 
 
≪  梶原相聞円坐  ≫
 
 
 
◆ 日 時 : 2016年1月28日(木) 13時30分~16時30分
 
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
 
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん (HP http://enzabutai.com/)・松岡弘子
 
◇ 参加費 : 3000円
 
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
 
◇ お申込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子
 
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
ます。

 

 

 

 

 

みなさま


2015年も名残り月。
もう12月になりました。

初詣したお正月の景色が、
昨日のように思われます。

 

今年最後の梶原相聞円坐は、12月24日(木)13301630

高槻市梶原のたけのこ文庫にてひらきます。

橋本久仁彦さんとともに、坐るご縁を心より、お待ちしております。

 

梶原相聞円坐ウェブサイト 

http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

 

 

梶原相聞円坐の守人橋本久仁彦さんからご案内の言葉を賜りました

 

「主体性と言う。その主体とは何か?

我々は個人として単独に存在しているのではない。

我々の知覚とは、私という主体と環境との出会いのこと。

主体とは、我々という有機体と環境が絶えず出会っているその接触面で、

そのつど生まれる意識である。

主体としての有機体が、客体(対象)としての環境と出会うのではない。

有機体が環境と出会うところ、その出会いの中で運ばれながら、毎瞬毎瞬、主体という意識が成立している。

変換ミスで「舞い瞬」って出た。いい言葉だ。

この出逢いの時空間が壊れると、主体も同時に消滅する。

しかし、有機体が生きている限り、そこには時空間があって、新しい出会いが生まれ、

新しい主体が誕生している。

主体とは我々の確実な所有物ではなく、絶えず生まれ続けている「まとまり」の意識である。

我々は、他人や「もの」と出会うごとに、そのつど「主体」に「な(鳴)って」生きている。

相手が変わり、出会いの様相が変わるごとに、人間関係の景色が変わるごとに、

我々はそのつど新たな「出会いの景色」に「な(成)って」主体が維持されている。

梶原相聞円坐のほの暗い空間は、毎月僕の主体の様相を変える。

月に一度、僕は必ず新たな景色に迎えられ、新たな「僕」に「な(生)って」往くのである。」

 

 

 

 

わたしたちはいつも、
目に見えない景色やものに照らされながら、
影と瞬時に響きあうたび姿形が浮き彫りになります。

そのままの「あらはれ」といいますか、
誰の心にも目には見えない「思い」があり、
一期一会の巡りあいのなか、ふとふれると
あるがままあらわれてくる世界があると実感します。

先日地元の保育園で影舞をしていた時、
ある5歳の子どもが、
「心でお辞儀するんやで」と、
当たり前に、ぽそっと言いました。

あ、そうだ。そうだった・・

手を床に着ける手の組み方や頭を下げる角度よりも・・
もっとさし迫った大切なことを、
きちっと思い出させてくれます。

相方が真剣でなければ、
誰だって悔しくて、腹もたち、
男泣きに悔しい気持ちにケリつけようと、
横顔は真剣そのものです、

自分に相対する時の、
相方に重量(存在感)なく、
元気を吸われただけだと、
気持ち悪いものですから。


いっぽう目に見えない秘めた念いが、
そのまま、シンプルに響きあう時は、
目にみえない「身体」がまず、あって、
それから、目に視える動きや形になるのと似ていて、
すでにみえない「身体」になにかが起きているから、
ふたりのあわいに、形や動きとなって、
「いのち」が生まれ、息吹き、
風が吹いてくるのでしょう。


目にみえない「身体」をないがしろにする者は、
放心したように、元気を急速に失い、
他者からエネルギーを奪わなければ、
おそらく生きていけないようになってしまうのでしょう。

身近な誰かのせいにしたり、
役に立つことでコントロールしたり、
死者を含め他者を思い通りに操ったり、
笑顔の仮面の裏で何かをされると、
過敏になり免疫機能ばかりが働きすぎて消耗します。


そこで影響がない位に離れることも、ひとつですが、
最近は消耗せず向き合うことも、
出来るようになり、
ずいぶん落ち着きました。

誰かと真剣に向き合った景色は、
やがてはそのまま風景となって、
道いく背中にあらわれるでしょうか。


そんな、いく年をふりかえりつつ・・
今年最後の梶原相聞円坐のご案内です。

ご一緒に、円になって坐るご縁を、
心よりお待ち申し上げております。


おかげさまで、こうやって案内させていただき、
今年も読んでくださってありがとうございます。


梶原相聞円坐守人 松岡弘子

 

 

 

 

今年も残すところあと数週間になりましたが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか? 

正直なところ、わたしはこの季節があまり得意ではありません。 
お店のディスプレイの入れ替わりの早さに圧倒されて、目が回りそうになります。 
クリスマスの飾り付けとともに、来年の手帳やお正月用品がお店に並び始めると、もう窒息してしまいそうです。
子どもの頃の12月はもっと楽しい気持ちになっていたような気がするのですが、 
大人になってから大晦日は切なくて切なくて、ゆく年くる年の中継を見ることがつらくなってしまいました。 


いったいなぜなんだろうか。 
こんなに切なくてやりきれない気持ちになるのは、なぜ? 


よくよく考えると、わたしは段取りよくサッサと事をかたづけるのが苦手です。 
特にやることがいっぱいの年末はあれもしなくちゃ、これもしなくちゃ、 
ああ、でも時間がない、ああ、まだ全然終わってないのに、もう今年が行ってしまう・・・
お願いだから、ちょっと待って~ 

それなのにわたしを置いてけぼりにして、非情にもテレビではカウントダウンがはじまる・・・

まわりのみんなはキチンとぜんぶ終わらせて、新年を迎える準備が済んでいるのに、 
わたしはまだこんなところでジタバタしている・・・ 
というところが、しんどいんだな、と、ある時気づきました。 
そして、とうとう、できない自分に目をつむって現実を見ないことにしてしまいました 
何もしなくたって年は明けるんだ、単に日付が変わるだけじゃないか、などと都合がいいように自分に言いきかせて。 


子どもの受験を言い訳に、そんな年末を迎えること数年・・・ 
見ないふりをしていても、本当のところはちゃんと自分でわかっているのです。 
このままではますます苦しくなっていくことを。 
うわべだけはなんとか取り繕って新年をよそおってみても、本当は何も終わってないからどこか居心地が悪くて、 
もぞもぞ落ち着かなくて、お正月早々にまた掃除の続きを始めてみたりして・・・



今年こそはすっきりした気持ちで新年を迎えたい。
そう思って、12月に入ってすぐに家の中のあちこちを片付け始めています。 
すると、いままで見て見ぬふりをしていたものが沢山見つかりました。 
なんでこんなものを置いていたんだろうと思うものが出てきて、片付けながら自分で笑ってしまいます。 
でもどうしてもいままで捨てられなかった、 凝り固まった過去の自分がそこにいるのを感じました。 

これ、もういいよね? 
過去の自分にそうたずねて、ちょっと思いきって、エイヤッとごみ箱に放り込むと、 
じゃあこれもという具合に案外簡単に捨てられたりして、少しずつですが、部屋にすき間ができてきました。 
そしてそこにちょっとだけ風が通りはじめています。 

捨てられなかったのは物だけど、物そのものではなく、結局はそれにまつわる自分の思いだったりこだわりだったり・・・
物を捨てているようで、ほんとは自分の心の中の要らないものを整理しているんだな。 
わたしがいままで目を背けて見ないふりをしてきたもの、 
そしていま、苦しみながら向き合っているのは、まぎれもない自分自身の心でした。 


まだまだ自分と向き合う大掃除は続きます。 
今年もまた大晦日にジタバタするわたしがいるかもしれませんが、例年より気持ちはすっきりしている気がします。 


年末のひととき、梶原でゆっくり坐わりながら、そんな今年の自分を見送ることができたらいいなと、ひそかに思っています。 


ご縁のありましたすべてのかたがたに心より感謝いたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


梶原相聞円坐言寄人 道佛 佳子 

 

 

 

 

 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 

 

    2015年12月24日() 1330分~1630

    たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13

 相聞円坐守人  橋本久仁彦さん (HP http://enzabutai.com/)・松岡弘子

 参加費  3000

 場所係  荻原ゆかり

 言寄人  道佛佳子

    kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子
 ウェブサイト  梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

みなさま

 

こんにちは。

日が暮れるのがすっかり早くなってまいりました。

 

 

今月の梶原相聞円坐は11月26日(木)です。

 

  露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐  http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

◆ 日 時 : 2015年11月26日(木) 13時30分~16時30分

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

 

 

梶原相聞円坐にて、

橋本久仁彦さんと共に坐るご縁を、

どうぞ心よりお待ちしております。

 

橋本久仁彦さんより、言葉をいただきました。

先月の円坐の景色が、言葉の仄灯に揺れながらよみがえってまいります。

 

言寄人の道佛さんからも言葉になるのをじっと待ち、

渾身の力を振り絞って、言寄せくださいました。

 

切なる調べの高鳴りを、

よかったらお読みください。

 

それではご案内です。

 

 

松岡弘子

 

  

 ・ 

 

 

先月の梶原相聞円坐。

夕方の、薄暗くなった、たけのこ文庫の部屋の中で、

坐衆の面々が、腹の底から言葉をつむぎます。

 

その圧力の中で、僕自身も口にしたいくつかの言葉を、手帳に書き付けました。

 

「自分が問いを立てて初めて実体が生まれる」

 

「『私』より『あなた』の方が『確か』である」

 

「自分の姿は見えないが、あなたの姿ははっきりと見える」

 

「あなたは確かにそこにいますよ。そしてあなたはいい存在ですよ。

私はあなたの居場所になりますよ。と『あなた』に言ってもらうことで、

『私』があると感じることができる。だから我々は『あなた』に対して、

「あなたは確かにそこにいる」という考えを差し出し続けている。

それがお互いに『私』が確かなものだと感じるためのルールである。」

 

「我々はまず「親」に見てもらい、聞いてもらい、意識してもらうその空間(言葉)の中に宿り、生きる。

このようにして人間(じんかん)の中に『私』として宿るやり方を身につけ、生き続けている。」

 

「『あなた』によって『私』や『自分』があると見なしてここにいる。」

 

「『私』にとっての『あなた』や『世界』が消えると、依りどころ(居場所)を失い、『私』も消える。」

 

「『私』とは『あなた』や『世界』の『居場所』である。」

 

 

また梶原の、かつての淀川の、葦の川原を幻視する薄日ほのかな空間に、

坐りに参ります。

 

            梶原相聞円坐 守人  橋本久仁彦

  

 

 ・

  

 

先月のご案内で申しあげた景色が、

ひとつ、ありました。

 

そして、

そのまま円坐に坐り、

円坐の後も余韻がいまだ続いています。

 

言葉にするというのは、

表現力や表現の自由がないと、

出来ないというものでは、

どうやらないようです。

 

言葉とは、

いったい何なのだろう?

と、考えていました。

 

文章や文字が書けなくても、

言葉にすることはできます。

 

この、

言葉になる瞬間の、

そのほんのわずかの一瞬・・

自分というものが本当にいるのだろうか?

と、なぜか思うのです。

 

言葉はある種「見えないからだ」のようにも思えます。

 

円坐や影舞、縁坐舞台を通じ、

幾重に重なる位相の景色を眺めていくうちに、

ふと、向こうから、そのままこちらへあらはれてこようとしている「もの」が、

わたしを惹き寄せ、

からだをひらかせ、

歌う。

 

それが言葉であり

器でもある、

というのが、

いま現在みえてきた視界でもあります。

 

欠けている。

凹んでいる。

 

そのような言葉の持つ別の働きも、

いま探求しているように思います。

 

たとえば、

こちらからあらかじめ絵になる場所を想定したら、

向こうから囁く、かそけき声は消えます。

 

すると自分で全部を作りあげるしかなく、

言葉は意図的となってしまい、

身体と、見えないからだは、

乖離してゆくように思います。

 

 

先月、

言葉にしてから、

ゆっくり時間をかけて、

今まで向き合うことができなかった「もの=鬼性」と、

落ち着いて向き合うことが出来るようになりました。

 

いままでは、

言葉にすることも出来ませんでした。

 

それがいまや、

的確に証明できない何らかの欠けた感じも、

ただそのままあるものとし、

落ちついてその「もの」と向き合うことも、

ようやく出来るようになりました。

 

何かの存在として、

人や物という「姿」を通して、

そのまま、あらはれてくる「もの」と向き合う、

それは世阿弥の能『敦盛』のようでもあります。

 

 

  亡き人を偲ぶ言の葉も

  蝋燭に消えゆく言の葉

 

  仄かに消えゆくたびに

  いつかひとりゆく花道の

  仄灯となるでしょう

 

 

人間五十年

化天のうちを比ぶれば

夢幻の如くなり

 

と舞う、幸若舞における敦盛の姿も、

重なり込んでまいります。

 

 

梶原相聞円坐 守人 松岡弘子

 

 

  ・ 

 

 

ついこの間、近所の公園でたくさんの緑色の実を枝につけているどんぐりの木を見上げて、

今年も実ったなあ、いつになったら色づくかな?と思っていたら、

今日はこどもたちがあちこちに落ちている茶色いどんぐりを拾い集めて遊んでいました。

 

あっという間に夏から秋、そして冬に向かっていく様が、歳のせいでしょうか、

年々、速度が早くなっていっているような気がします。

 

 

 

先月、89歳になる伯父を見送りました。

14年前に先に他界したわたしの父の、ひとりきりの兄でした。

 

幼い頃は、お盆、暮れ、お正月と、ことあるごとにたくさんの親戚が集まり,

わいわいと過ごす田舎の本家の伯父でしたが、

わたしが嫁いでからは訪ねる回数も減り、

父が亡くなってからは親戚と顔を合わせる機会はさらに少なくなくなっていました。

 

 

十数年ぶりに懐かしい親戚の人々に会いました。

時計の針が一気に逆回転しました。

幼い頃の景色があちらこちらに浮かんできます。

走り回った広い畑や、お祭り、年末のお餅つき、お正月の終わらない宴会、獅子舞い…いつもたくさんの人がいました。

すっかり忘れていたはずなのに、その場にいた人たちの姿や声がよみがえってきました。

そして、ずいぶん長いこと会わない間に、

もう、誰が誰かわからないぐらい年月がたってしまったことを、改めて感じました。

 

わたしのなかの記憶は、ついこの間のように幼い頃のままで、

可愛がってもらったおじさん、おばさん、一緒に遊んでもらった親戚のお兄ちゃんたちなのですが、

みんなそれぞれに歳を重ねてしわが増え、髪が真っ白になっていて、会わなかった年月の長さをしみじみと感じました。

と同時に、わたし自身もまた、ずいぶん変わってしまったことを感じました。

すでに亡くなってしまった人たちの姿もたくさん思い出されて、

刻一刻とわたし自身もそちらの世界へ近づいていっているんだなという思いがわいてきました。

 

 

命には限りがあって、いつかこの世をさる時がくる。

小さな陶器に納める直前の伯父は、すっかり姿は変わっていましたが、いつもと変わらない笑顔で、

「どうや? これがおっちゃんの骨や。ええか、よー見とけよ。」

と言っているようでした。

89歳と思えないしっかりとした姿でした。

肉体はなくなっても、伯父はこれからもきっと、あとに残された誰かのなかで、確かに生き続けていくんだなと 思いました。 

 

 

たくさんの存在に影響を受けて存在している自分もまた、 

知らず知らずのうちにまわりに何かの影響を及ぼしているのでしょう… 

少なくとも、一緒に暮らしている家族には。

 

わたしがいなくなったときにまわりの人々のなかに何が残るのだろうか。

伯父を見送る人々の会話を聞きながら、自分の命の終わりについて考えていました。

 

 

いまはまだ、自分がいなくなった後に、誰かに何かを思い出されることは恥ずかしい。 

できれば何も思い出さないで、と思うぐらい。 

それぐらいの生き方しか、わたしはできていない。

だから、まだまだあちらには行けないな。

そんな思いが体をめぐっています。 

 

自分の命が残りすくなくなったとしても、

この世ではもう十分だと思える日はなかなかやってこないような気がしますが、

せめて、 

この体があるうちは、

まずは目に見える存在として、正直に坐りたいなと思います。

 

 

梶原相聞円坐 言寄人 道佛 佳子

 

 

 ・

 

 

≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 ≫

 

◆ 日 時 : 2015年11月26日(木) 13時30分~16時30分

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん (HP http://enzabutai.com/)・松岡弘子

◇ 参加費 : 3000円

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

◇ 言寄人 : 道佛佳子

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

 

 

 さいごまで読んでいただきありがとうございます

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

秋も深まり、

いかがお過ごしでしょうか。


今週の10月29日(木)、

橋本久仁彦さんに梶原へ来ていただきまして、

露(いのち)の円坐~梶原相聞円坐をひらきます。 

http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/


よかったら、

秋の梶原相聞円坐、ご一緒に坐りませんか。


ご縁をお待ちしております。


先日、

梶原の土地と出会い、

梶原の人とめぐり逢う、

貴重なひと時を過ごさせていただきました。


長年通った梶原で、

この夜、初めて見た景色は、

胸に迫る切なるものがあり、

心震え、

知らず知らず涙が出ました。


たけのこ文庫の奥、

梶原山と里の間の境地に、

安田邸の古民家があります。


そのお庭に、

一本のしだれ桜が佇んでいます。


「舞台は、庭の桜の下ですね」


安田邸のオーナーの方が、

そうおっしゃってくださって、

実現した貴重な一夜の宴でした。


ご近所に住むご友人のお父様の形見のラッパの音を奏でる約束、

果たすがために駆けつけてくれた仲間の人たちも義理がたく、

ありがたくて、

演奏に、歌、影舞、謡いと、

梶原の方々や、ご縁の方々と、

音連れる景色を純粋に楽しみながら、

景色がおのずと変わりゆくのをふと感じました。


裸足の足が秋の土にふれると、

桜は、もの凄いエネルギーで、

迎えてくれました。


梶原のこの一本の桜の木は、

この世のランドマークとなりました。


あらためてこの土地で、

円坐をひらく時間とご縁を大切にして、いきたいとおもいます。


どうぞよろしくおねがいたします。


くぅ 松岡弘子


 ・・・

 

皆様へ。

梶原相聞円坐のご案内です。

夕べは逢坂中之島縁坐舞台、影身公演がありました。
縁坐舞台と影舞を行いましたが、公演最後の影舞は、参加してくださった
ご夫婦のお客様による “民衆影舞” でした。

それは丁寧な、見事な舞いでした。
影合わせの曲は、沢田研二の『時の過ぎ行くままに』。

よく知っている古い曲でしたが、舞ったお二人の面影とともに
なんだか新たな曲として聞こえて来て、いい歌だな、と聞き入りました。

影舞には、我々が長年その中に収まっている慣れた自己意識では、
取るに足らない小さな現実にしか見えないような事柄を、本来の、
貴重な真実の一部分として、新鮮に見せる(魅せる)作用があるようです。

その新鮮な視界からは、我々の日常意識の裏返しとも言える興味深い景色が立ち上がってきます。

主催の松岡弘子さんのご案内の言葉は、
影舞や円坐の視界を探求する者にとっては、味読すべき達意の文章です。


「誰かの言葉で、
誰かの呼吸に、
誰かの面影とともに、
刻々と変わっていく私は、
『誰かの生き残り』です。」


凄い文章です。


円坐も、縁坐舞台も影舞も、そしてミニカンも、
この文章の中に、円融一味の味わいとなって揺れています。

ありがとうございます。


              コタツに独り坐って。   はしもとくにひこ





みなさま


梶原相聞円坐 ~空な かなさ~  ご案内を送らせていただきます。
今月は、29日の第五木曜日にひらきます。お待ちしております。




ずいぶん昔、
二十歳ぐらいの頃の私は、
アンベードカルに夢中でした。


かつてインドは、イギリスの植民地でしたが、独立しました。
しかし独立してもいまだ自由になれない人達が大勢いました。
そんな状況下、アンタッチャブルの一人として、
搾取され続けている人たちが生き変われるシステムを構築し、
既存のヒンドゥー教の因習やカーストの社会制度から離れて、
「空」を時間の概念としてとらえ直し、
「空即ちすべての事象は儚い」として、
浄土や本覚については言及せず、
儚いからこそ人は生きながら変化しつづけていくとし、
輪廻転生の宇宙的システムから離脱することを唱えた、
アンベードカルという人が、インド独立期にいました。




彼の事を知ったきっかけは、
恩師沖浦和光さんとの出会いでした。




自分では計り知れないほど、
沖浦さんとの出会いに影響を受けて、
お会いする機会がなくなってからも、
ずっとわたしの中に住んでいました。

七月に知人から不意に沖浦さんの訃報を聞いてから、
とうとう亡くなられてしまった、という思いと同時に、
まだわたしのなかに沖浦さんが、
アンベードカルが、生きていて、
その景色が刻一刻と変わり続けているのは、
不思議なことでもあり、
不思議ではないようにもおもえます。




梶原の円坐も、数々の景色を思い出します。




その景色が、いまも色褪せないのは、
風景となって、残っているからでしょうか。




頭の記憶は確実に無くなっていくのですが、

どんどん思い出されてくるのは不思議です。




秋は、いつしか景色のうつろいに、
瞼のうらの姿を忍ぶことが、
年を重ねるにつれ増えてきました。


この季節は特に、
いまここに、ありのままに生きるのだ!
とか言われると、混乱してしまいます。




自分をみつめ、
自分を感じて生きるとか、
理想や目標を持って生きるとか、
話し合って民主主義的に決めるとか、
混沌を法則化し合理化してしまうとか・・


なにか違う感じがしてしまい、
無理にそうするとしんどくて。




出来るだけ大きく距離をとって、
楽しい方へ、より面白い方へと、
ふと突き上げてくるものに動かされてしまいます。




この世は、今しかないなら・・




無限に、
自分の今を、
永遠に生きるしかないけれど、
ほんとうにそうなのだろうか?




生きてる人も、亡くなった人も、
いなくなって存在の仕方を変え、
わたしのなかに生き残っていて、
そんな存在の生き残りが、
わたしなのではないかと、
なぜかわからないけれどそう思ってしまうのです。


クリアにはっきりわからなくて、
考えると頭がキーンとしますが、
不思議と、腑に落ちるものです。




そして、
誰かの言葉で、
誰かの呼吸に、
誰かの面影とともに、
刻々と変わっていく私は、
「誰かの生き残り』です。




蝋燭の 仄灯りに、
消え入る 言の葉 ひとつ。


いにしえの 向岸、
片隅に 咲く花 ひとつ。




よかったら秋の風吹く梶原で坐りませんか。
10月の梶原相聞円坐は29日第五木曜日です。
たけのこ文庫でどうぞお待ちししております。




松岡弘子

 

 

 



≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 ≫

◆ 日 時 : 2015年10月29日(木) 13時30分~16時30分
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん・松岡弘子
◇ 参加費 : 3000円
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◇ 言寄人 : 道佛佳子
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子
◇ 梶原相聞円坐ウェブサイト : http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
◇ 橋本久仁彦さんの公式HP : http://enzabutai.com/



最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

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9月の露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐は、

2015年9月24日(木) 13時30分~16時30分、 

梶原たけのこ文庫に於きましてひらきます。 

梶原相聞円坐のご案内申しあげます。
どなたでもどうぞ、お待ちしております。



橋本久仁彦さんから、梶原相聞円坐に、案内の言葉をいただきました。


 

道佛佳子さんからも、ご案内の言寄せ、いただきました。

 

 

「景色」は、その目や耳を見たり聞いたりできないように・・
その景色をうみだした意識を理解することはできなくて、
「景色」は、ただ景色で、ある、
と、ようやく景色のほうから見えてきたり、聞こえてきたり、するのでしょうか.


 
  鳥の声が、不意に、聞こえてくるときのように・・


なにものでもないただそのものに礼拝し、

いずれ滅びゆくこの身と心で、

限られた、無限時空を、坐って参ります。


それでは、露(いのち)の円坐~梶原相聞円坐のご案内です。


 ・・・


『蓮(はちす)の露』という歌集のなかにある、

  夢の世に かつまどろみて 夢をまた 語るも夢も それがまにまに
という歌における良寛の夢と現実を分けない景色は、
  裏を見せ 表を見せて 散る紅葉
と、そのまま辞世の歌にもあらわれています。

ところがこれらの歌は、良寛一人で歌ったものではなく、
貞心尼の歌のお返しに詠んだ相聞歌であり、そのまま縁坐舞台のようでもあります。

そんな相聞歌を、聞き取り、『蓮(はちす)の露』に編み形見にして大切にした貞心尼。
  くるに似て かえるに似たり沖つ波 立居は風の 吹くにまかせて
と詠んだ彼女のこの辞世の歌も、
また面影を慕いて詠んだ相聞返歌のようであります。

この呼応は「ミニカウンセリング」という様式にあらはれる多層の位相にもあらわれ、
その時空の景色は得も言えぬほど味わい深いものです。

ミニカウンセリングの様式とは、
相互に相手の時空を結界し、その15分間を録音し、
その空間にあらはれる、言葉や、息づかい、間や、沈黙、自然の音や、環境音を、紙にうつしとり、
15分の時空の実相を味わう様式のことです。

15分の録音と記録は相聞歌のように呼応しあっていて、
ふたりがそこにいた証しは、録音記録や逐語録ではなく、
ふたりがもうそこにはいない、という事があきらかになり、
15分という限りある人生の時間とふたりのいた場所だけが残り、
情景や景色は螺旋を描いて、転換しながらふたりは風景となって、
やがて場所だけが証しとなり、そして途切れない心だけとなります。

「相聞」における「残心の構え」は、シンプルですがとてもわたしには、難しい構えで・・
自身の黒い雲に覆われると、いとも簡単に聞こえなくなり、相手を見失ってしまいます。
「相聞」における「残心の構え」はなかなか身につかず、つい焦ったり、日々もがいております。

そんな半端もんの身ではありますが、
橋本久仁彦さんと守人を務めて参ります。

梶原相聞円坐ご一緒に坐るご縁を、
どうぞお待ちしております。
 
  
 

くぅ・松岡弘子





 << 橋本久仁彦さんから、ご案内の言葉です >>

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僕は、人様のお話を聞く、伺うということを

生涯の仕事としてきました。

 

一対一で対坐するミニカウンセリングしかり。

数名から十数名で長時間坐り続ける円坐しかり。

初めてお会いする方々の言葉を頂いてすぐ舞台空間を作る縁坐舞台しかり。

 

言葉や文字の奥深い体験に参入するにつれて、この仕事が、僕の短いひとつの生涯だけではなく

いにしえの歴史空間とその中に生きた人々の言葉を今、聞き辿るという「勤め」でもあることが分かります。

 

そして、今まで僕と同じ時空に生きていて、もう今はいなくなった方々の言葉を伺うということ。

あるいは、今までこの時空にいなかったのに、今は姿が見えるようになった方々の言葉が聞けるということ。

 

この景色は、自分が聞くという意識(自意識)から旅立って、ただ耳を澄まし、澄み切った数分間を往き、

「聞く自分」が「居・亡く」なって、向こうから、聞こえる(来・越え入る)時空へと参入すること。

 

意識の意がほどけて「け(気)」となり、

初めてけ(気)のしき(識)すなわち景色が、見える聞こえる「澄まし」の作法、

これがミニカウンセリングの15分間や、円坐や縁坐舞台といった「重ね」の様式の肝心要です。

 

京都と大阪を結ぶ淀川をはさんで、いにしえから京となにわの文化の境となってきた高槻・梶原の地には、

いまや新幹線など三本の鉄道線路が走って現代の結界模様を形作っています。

 

その地模様の中で開催される円坐に、「梶原相聞」の名乗りはいかにも奥ゆかしいことと思います。

 

 

雨の日は肌寒くなってきた初秋の空気の今日この頃、

相聞歌におのれの命を託した平安人の歌声を借りて、

梶原相聞円坐で因果を結ぶ「き・こえる」時空の、秋の歌垣を楽しむのも一興でしょう。

 

よろしければどうぞお付き合いくださいませ。

 

 

   

   「秋の夜は 月に心のひまぞなき 出づるを待つと入るを惜しむと」

 

自分の意識で聞いてるつもりの心には「ひま」がなく、次はいつ出るか、ああ、もう入ったかと忙しい。

 

 

 

   「秋の夜の 月待ちかねておもひやる 心いくたび山を越ゆらん」

 

愛の心で聞いてるつもりでも「自分の愛」は黒い雲、いくたび山を越えても届かぬ息の苦しさ。

 

 

 

   「庭もせに 積もれる雪と見えながら かほるぞ花のしるしなりける」

 

ようやく自分の愛とは何の関係もなく、庭に積もった雪景色にただ心澄ませば、

たとえ自分の目には見えなくても、ひそかに香る匂いから、花の存在を疑わぬようになる。

 

 

 

   「秋山の 清水は汲まじにごりなば やどれる月の曇りもぞする」

 

自分は必ず聞けるはず、人は認めよこの私の「善き思い」。

その自力心のゆえに、ひそかに香る花の匂いに気づけぬあさましさを知る人は

あえて清水を汲まぬもの。映る月の姿が曇ってしまうではないか。

 

 

 

   「天の風 雲吹き払ふ高嶺にて 入るまで見つる 秋の夜の月」

 

やっと自分という黒い雲が見える高嶺に立ってみると、ただ秋の月が入るまで

淡々と見つめるおのれの姿は、涼しい天地の風のひとそよぎであった。

 

 

 

   「山彦の こたふる山の郭公(ほととぎす) ひと声なけばふた声ぞきく」

 

聞き手が話し手の言葉を辿る心に二種あり。「辿る」自力から、「辿り」の他力へと。

鳥の声(越え)におのずから応えて澄み切る山彦を聞く心。

 

 

 

   「梅の花 にほいを道のしるべにて あるじも知らぬ宿に来にけり」

 

花の匂いに心を澄ませて辿りたどりのみちのく旅。

たどり着いたは話し手も聞き手も知らぬ不思議の宿りと景色なり。

 

 

 

   「ありしにも あらずなりゆく世の中に かはらぬものは秋の夜の月」

 

話し手も聞き手も無くなった15分間や縁坐舞台。

ただロウソクの炎やヒトガタの衣擦れに映り聞こえる面影は 時空を越えた変わらぬものの影かしら。

 

 

 

   「秋の夜の 露も曇らぬ月を見て おきどころなき我が心かな」

 

また新しい円坐や舞台やミニカンの15分間が始まるよ。

ああ、今は雲のかからぬ白い月がそのまま見える。

それにつけても自分という雲の立ち去らないことよ。

今宵もこの美しい月明かりに足元を照らしてもらいながら、精々皆様のお邪魔にならぬよう

自分の影を辿らせていただきましょう。

 

 

梶原相聞円坐にて、いにしえの影辿りのひと時をご一緒できますご縁。

心よりありがたく、謹んでお待ちしております。

 

 

   小学生の頃、『忍者部隊月光』っていうテレビドラマが大好きでした    橋本久仁彦







  ・・・ 道佛佳子さんから、言寄せいただきましたご案内です ・・・



こんにちは。
あんなに暑くて寝苦しかったのに、ここ数日は夜は少し肌寒くて窓を閉めて寝ています。

みなさま、お変わりなくお過ごしでしょうか?

8月下旬、台風が2つ同時にやってきていた頃、わたしはちょうど15号直撃の九州地方におりました。
無事に目的地に着けますようにと願いながら、福岡から大分に向けて出発したのが25日の朝でした。

だんだん強まる雨と風に、福岡市内の電車は全線運転見合わせ、高速道路も通行止めになっており、
台風のさなかに車で移動することになるなんて全く予想もしていませんでした。

出発してすぐに立ち寄った大宰府天満宮では、境内の大きな木の枝が折れ、葉っぱが散乱し、
根っこから倒れた庭木もあり、関係者が総出で片付けをしておられました。
本殿の奥に広がる森の木々も強風で異様な揺れ方をしています。まるで何かが怒っているようです。
こんな日にお参りに来て申しわけありませんと手を合わせて、すぐに車に戻り出発しました。

通行止めで閉鎖された高速道路から、どんどんトラックが下りてきて、渋滞が始まっています。
冠水で通れない道を迂回し、さらに下道を走っていくと、
田んぼの向こうには雨雲が低く渦を巻いてすごいスピードで真横に流れて行くのが見えます。
これが台風の渦なんだなと思いながら南へ走ります。

折れて道路にはみだした木をよけながら、増水した茶色い川のそばを走り、ひたすら南へ。
途中、停電して信号が消えている集落をいくつも通りすぎ、当初の予定より数時間遅れてようやく大分県へ入りました。


目的地は別府温泉。雨の中、地獄と呼ばれる源泉をいくつも見てまわったのですが、
色の美しさや不思議な地形を素晴らしいと感じるよりも、明らかにそこは地球の中心につながっていて、
地球の底深くから沸いているものが見えているのだということの不気味さを強く感じ、
あらためて自然の力を見せつけられているように感じました。少し怖いとも感じました。

泥の温泉にも入りましたが、底に沈殿した熱い泥に足をとられてよろけながら、
その成分の強さにクラクラする気がしました。


大阪での普段の生活では、私は自然の力をそれほど強く感じることもなく、
感謝をすることもなく毎日を過ごしてしまっています。

旅は普段とは違うそこでしか見られない自然や町並みやそこに住む人々の暮らしを見る。
日常と違う空間に身をおいて、ゆっくりと時間を過ごしてみて、
自分の日々をもう一度思う。


それは月1回の梶原での時間と、どこか似ているなあ…と思いました。


あわただしく過ごしている日々を、数時間だけ切り取って、じっくりと輪になって過ごしてみると…
そこに何が見えてくるのか、何も見えてこないのか…


今回、台風をかすめて旅しながら、そんなことを思っていました。



よろしければ秋の気配のする梶原にて、ご一緒しませんか?


道佛 佳子





≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 ≫

◆ 日 時 : 2015年9月24日(木) 13時30分~16時30分
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん (HPhttp://enzabutai.com/)・くぅ松岡弘子

◇ 参加費 : 3000円
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◇ 言寄人 : 道佛佳子
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/






 

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八月は、夏休みです。 

次回の梶原相聞円坐は9月24日(木)13時半~16時半です。

 

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みなさま

 
今日は七夕ですね。 
 
 
 
先日、JR高槻駅前で里山の竹を伐採した笹を配っていらっしゃいました。
 
 
 
いただいた笹を持って歩いていたら、
 
「その笹は、どうされたのですか?」
 
と高齢の男性に訊かれ事情をお話すると、
 
突然「竹は、世界に誇れる宝ですね」と、
 
おっしゃって、過ぎ去っていかれました。
 
 
 
しばし、呆然となりました。
 
 
 
竹や笹を見ると、
 
父が宿っている様に思えるわたしにとって、
 
衝撃的な一瞬でした・・
 
ある問いが、突然、浮上してきます。 
 
 
 
 人は死ぬと、一体どこに、いくのだろうか
  
 
 
小さい頃は、あることが気になって、
 
こわかった時期が私にはありました。 
 
 
 
 どこから、この世にきたのだろうか 
 
 
 
今月梶原相聞円坐をひらく日は、
 
息子がこの世にあらわれた日で、
 
わたしが息子を生んだ日と言うと、
 
これはまた、なにか違うような違和感があり・・ 
 
 
 
息子は一年で一番暑い、夏の日の夜に、産声を上げました。
  
 
 
16年前の大暑の昼間は太陽がジリジリと照りつけ、
 
散歩の道すがら見上げた木の蝉はわんわんと鳴き、
 
その声にまるで木霊するかのように、
 
あちらの木からも、こちらの木からも、
 
蝉の鳴き声が歩く道すがら鳴り響いていていました。
 
 
 
息子の声は、産声や蝉の声の記憶と重なって、
 
幾層にもなっていて重層的です。
 
 
 
そして、
 
父のいのちとも、どこかで、つながっている、
 
そんな、いまの景色です。
 
 
 
わたしの感情には関係なく、
 
影となり、いまも、存在しているのでしょう。 
 
ときどき、思い出す面影は、なぜか懐かしく、
 
不思議です。
  
 

真夏の昼間に、露(いのち)の円坐 ~ 梶原相聞円坐 をひらきます。 
 
 
 
クーラーはなく小さな扇風機が一台あるだけですが、窓や縁側からは風が入ってきます。
 
 
 
かすかに、
 
風が吹くのを感じるのも、
 
懐かしい夏の風景ですね。
 
 
 
よかったらご一緒に汗を流しながら、相聞円坐すわりませんか。
 
 
 
ご縁をお待ち申しあげています。
 
 
 
松岡弘子 
 
 
 
・・・ 
 
 
 
あちらこちらに七夕の笹飾りがゆれる季節となりました。
 
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
 
 
七月は一年のうちでわたしが一番いのちを感じる月です。 
 
 
 
小さいころ、わが家では鈴虫を飼っていました。
 
梅雨の間に孵化したちっちゃな赤ちゃん鈴虫が、
 
キュウリやナスをかじって少しずつ大きくなっていき、脱皮をくりかえして、
 
やがて成虫となってゆく。リーンリーンと鳴きはじめるには、もう少し。
 
羽を立てて、小刻みにふるわせはじめるのを心待ちにしながら、
 
飼育ケースの中のまだ鳴かない鈴虫たちの様子をながめるのが好きでした。 
 
 
 
同じこの季節に、わたしも産声をあげて、この世に生まれました。
 
 
昔はお祝いしてもらうことが素直にうれしかったのですが、近頃は、
 
自分の誕生日は、生まれたことを誰かに祝ってもらう日ではなく、
 
いのちを生み出してくれた親へ感謝する日という思いが強くなってきました。
 
それは、わたし自身もまたいのちを宿し子を産んだ経験をしたからかもしれません。
 
 
 
わたしの半分をつくっている父が逝ってからずいぶん年月が経ちました。
 
今年こそ、自分の誕生日に母にありがとうと伝えようと思いながら、やはり今年も言えませんでした。
 
面と向かって、わたしを産んでくれてありがとうと言うのは、簡単なようでなぜかとても難しい。
 
どうしても言えないまま誕生日はすぎていきました。
 
 
 
言葉にすればよろこんでくれる、とわかっているのに・・・
 
そして、伝えるチャンスは永遠にあるわけではない、ということもわかっているのに・・・
 
 
 
親から子へ、子からまたその子へと受け継がれてゆく・・・ 
 
いのちっていったい何でしょうね・・・ 
 
この世に生まれるって何でしょうね・・・ 
 
 
 
母のからだを通ってこの世に存在することを与えられた、
 
このいのちはいったい何者で、どこからきてどこへいくのか・・・ 
 

 
答えはまだ見つからないけれど、
 
ありがたいことにわたしはこの世では人間のすがたで存在していて、感じた気持ちを言葉にすることができます。
 
だからこそ、ご縁のあるかたがたと丸くなってただ坐り、そこで語られる言葉や存在に耳をすまし見つめていたいのかな。
 
最近そんなふうに思っています。 
 
 
昼間の空を見上げても、星を目で見ることはできないけれど、星たちはたしかにそこに存在しています。
 
金銀砂子と歌われる天の川の下、見えるものも、見えないものも、たくさんのいのちが息づいている梶原で、
 
よろしければご一緒しませんか。
 
  
 
道佛 佳子
  
 
・・・ 
 
 
≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 ≫
 
 
◆ 日 時 : 2015年7月23日(木) 13時30分~16時30分 
 
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子 
 
◇ 言寄せ人 : 道佛佳子 
 
◇ 場所係 : 荻原ゆかり 
 
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
 
◇ 参加費 : 500円
 
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子
 
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
 
 
 
  さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。  松岡弘子





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今月25日 『 6月の露 (いのち) の円坐 〜 梶原相聞円坐 』 のご案内です。
しっとりと梅雨(つゆ)の季節の古民家梶原たけのこ文庫で、ひらきます。
もし、よかったら どうぞお待ちもうしあげます。      松岡弘子



皆様へ。

おとつい、東京・世田谷、「けむりの出る家」で、数日間にわたって開催された
「きくみるはなす探求講座」と「小金井公園親子円坐」から戻りました。

関東で出会う方々は皆エッジが効いているというか、輪郭の確かさ
感じることが多いなあと思いました。

対して関西は輪郭がぼやけてるのかな。。うん、関西の仲間の面影
思い浮かべれば、どっちかといえばぼやけてる感ありますね^^

思いや感情のエッジが向こう側と重なってるみたいな・・・

東京よりも大阪の方が、、「有」「無」で言えば「無」に、
人生で言えば終末に近い位相を持っているな、と思います。

東京の方が若い街だということでしょうかね。。

さて、京都と大阪の境に位置するエッジの町、高槻市。
古来より人の暮らしのエッジ、境界であった淀川湿地帯の息吹を残す梶原の地にて
今月25日、表記円坐が催されます。

こうしてお誘いするご縁をいただくたびに、誰ともなくたくさんの面影と、呼応を感じて、
懐かしく、またありがたく思います。

初夏の頃、皆様におかれましても、つつがなく、日々お大事にお過ごしくださいませ



               梶原相聞円坐 六月守人 橋本久仁彦





みなさま



こんにちは。


6月の露 (いのち) の円坐~梶原相聞円坐のご案内申し上げます。


橋本久仁彦さんを円坐守人にお招き致しまして、
6月25日 木曜日 梶原相聞円坐をひらきます。


ただ円になって坐ると、
どんな音が、おとづれ、
どんな景色が、あらわれるのでしょうか・・・


高槻の梶原は、
昔、淀川の氾濫や、
山からの鉄砲水で、
度々洪水となったそうで、
梶原一里塚には今もなお、
『水あがりのお地蔵さん』が鎮坐してるそうで、
文庫で、つい先日、昔話をしてくださいました。


思いや情報を聴いて知るのとは違って、
耳を澄ますと、
語られたお話は、いのちを宿します。


その土地に溶け込み、
やがては風景となって、

風に揺れる風鈴の如く、
風の音と風鈴の音が一つになり、
りーんりんりんと、鳴り始めます。


梶原で、円になって、ただ坐ると、


やがては・・


どこからともなく、風に乗って電車の音が、
ガターン ゴトン ゴトンと、聞こえてくるかも、
しれなないなぁと、
いのちの円坐の案内の言葉をしたためていると


ちょうど、友人から赤ちゃんが生まれたよ、と連絡があって、
つながっているんだなぁっと、しみじみとしていたら、ふと・・


ざわ ざわ ざわと、
裏の神社の木々が揺れたり、


鳥の声も、
聞こえてきそうで・・


もう、目に視えないからだは、
坐り始めているのでしょうね・・


よかったら、ご一緒に坐りませんか。
心よりお越しをお待ちしております。




松岡弘子




・・・




午後からふり出した雨が、よりいっそうひんやりとした空気を連れてきました。
しだいに強さを増す夜の雨音を聴きながら、この文章を書いています。

このたび、はじめてご案内を書かせていただくことになりました、まること、道佛佳子です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


わたしがはじめて円坐に出逢ったのは、高槻の神峯山寺でした。4年前の5月のことです。
当時、思うところあって座禅を組みたくなり、ネットでたどり着いたのが、
くぅさんが書かれた 『坐 神峯山寺~座禅と円坐の一日』 への案内でした。



円坐ってなに?
もしもちょっとでもあやしげな会だったら途中で逃げて帰ろう・・

そう思いながら参加した円坐は、なんだかよくわからないけれど言葉ではいいあらわせない「場」の雰囲気を持っており、
何も話さずにただだまって人の話に耳を傾けながら、時おり心なしかうれしそうにうなずき、ほほえんでいる人たちがいる・・・

ここはいったい何なんだろう・・・ぜんぜんよくわからないなあ・・・

そう思いながら数時間坐り続けて、最後には涙が止まらなくなっていました。

あの日、わたしの中にともった小さな小さな灯りは、いまでもおなかの奥のほうで、
じんわりとわたしをあたため続けてくれている気がします。
あれから、いろんな場所でご縁のある方々と坐らせていただき、この梶原でも坐らせていただいています。
そうやって坐っているうちに、少しずつですが、見えてくる日々の景色もかわってきたように思います。



円坐ってなに?
誰かにそう聞かれたら、いまもまだうまく説明できないけれど、
ひとことだけ言葉にできるとしたら、わたしにとっての円坐とは、
「自分が透明になれる場所」・・・でしょうか。

梶原の木々や、鳥や、風や、季節のうつろいや、いろんな音や声に耳をすませながら坐わることで、
わたしはただただ透明になろうとしている・・・・・のかも、しれません。



もしよろしければ、梶原相聞円坐にて、ご一緒しませんか?


道佛 佳子







≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 ≫


◆ 日 時 : 2015年6月25日(木) 13時30分~16時30分
◇ 相聞円坐守人 : 橋本久仁彦さん http://enzabutai.com/
◇ 世話人 : 松岡弘子・青木麻由子
◇ 場所係 : 荻原ゆかり
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)
◇ 参加費 : 3000円
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/




さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。  松岡弘子








    橋本久仁彦
 http://enzabutai.com/
 enzabutai@bca.bai.ne.jp




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みなさま


5月の 露(いのち)の円坐 〜 梶原相聞円坐2015 のご案内です。

汗ばむ日中の陽気に、
春はゆき、
同時に、
夏が近づいて来ています。

黄昏空に包まれ歩くと、
ひんやり覚めてきます。

した した した。

さわ さわ さわ。

かぁ かぁ かぁ。

五月も、
たけのこ文庫に坐ります、
円坐におとずれるモノと。

露る いのち
誰そ、彼・・

5月28日(木)13時~16時 です。

ご一緒できますご縁を、お待ちしています。


松岡弘子


・・・

 
≪ 五月 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 ≫

 
◆ 日 時 : 2015年5月28日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

◇ 参加費 : 500円

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com松岡弘子・青木麻由子

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
 
 
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



みなさま

 

こんにちは。

今年の春は、雨がよく降りますね。

 

雨が降り出して、

軒下に身を寄せることを、

なぜ雨宿りというのだろうとふと、おもいました。

 

雨が降る間どこかへ身を寄せ宿ることで、

その場も雨宿りという場所になってゆくのでしょうが、

雨がいのちを宿す「場所」を雨宿りというのかもしれないと思うと、

それもまたなぜかしっくりくるなあと、最近思っています。

 

西国街道から、たけのこ文庫の横を山に向かって歩いていくと、

古い煉瓦塀の向こうから微かに軒下で揺れる風鈴の音がします。

 

すき間からのぞく庭園は、

ほんの一部ですが、

一部だからかもしれないですが、

奥行きのある庭の雰囲気に惚れてしまいました。

恋しながら、たけのこ文庫へ続く道を歩いていました。

 

100年をこえる古民家の母屋と離れ、

庭には大きなしだれ桜の木があります。

 

ふしぎなご縁にむすばれ、

この春、安田邸のお庭の桜の下で、

この家と庭を守っておられる春田さんと、

近所にお住まいのご友人の方と一緒に円坐になって、

ご縁ある仲間と縁坐影舞の運びとなりました。

 

 桜が喜んでいます。

 

いまも、じぶんの中に宿っています。

 

桜は二度同じ花を咲かせることはなく、

一度きり花を咲かせて 舞い散ります。

最初で最後の 花として。

 

4月23日高槻梶原のたけのこ文庫で、

春宿る  いのちの円坐をひらきます。

 

ご一緒できますご縁をこころよりお待ちもうしあげます。

 

松岡弘子

 

・・・

 

春宿る ~ いのちの円坐 梶原相聞円坐2015

 

日 時 : 2015年4月23日() 13時~16 毎月第四木曜日

相聞円坐守人 : 松岡弘子

場所係 : 荻原ゆかり

場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13

参加費 : 500

申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子 

 

 

 

 

 

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三月は弥生月ですね。

 

二月のたけのこ文庫は、垣根の椿が客人をお迎えし、

部屋には椿二輪とふきのとうが、いけてくださってありました。

 

弥は「いよいよ」

生は「おい」。

 

草木も生い茂り始めるというような意味で、

「いやおい」が、やがて「やよい」と呼ばれる様になったそうです。 

 

今日からうちの裏の家が、解体され始めました。

 

朝洗濯物を軒先に干しながらふと枇杷の木のむこうに紅梅が、

裏の家の庭にひっそり咲いていました。

住む人のいなくなった家の庭は生い茂る静謐の森のようでした。

 

ところが、

洗濯物を終え玄関から入りかけた時、電動ソーの音が鳴り始め、

ブーーンブーーンブーーンと機械音が、朝の空に響くと、

紅梅を見ていたとことも、うすれかけていたその時、突如、

真っ暗な海に、紅梅の花が映り込んできました、ひっそりと・・。

 

夕方裏の家の庭を見てみると、まだ、梅の木はありました。

地面には、電動ソーが置いたままです。

 

かれこれ21年前、

春のお彼岸の朝、

ちいさな命が、わたしのからだを通って、生まれました。

 

眩しい姿と切ない泣き声が愛しくて。

散りて咲くは、いのちの名前ですね。

 

菜の花も咲き、

春のお彼岸も明け、

桜のつぼみもほころぶ頃でしょうか。

 

梶原のたけのこ文庫にて、

露(いのち)の円坐 ~ 梶原相聞円坐2015 をひらきます。

 

ご一緒できますご縁を、こころより、お待ちしています。

 

松岡弘子


 
・・・

 
さあ、今月も案内文を…。
と文章を書き始めるも、八割がた書き終わっては削除して…を2回ほど繰り返した後、かけなくなった。
 
前はこんな事無かったのに。
 
今までは、そのとき自分の中にある出来るだけ生の感じを文字に書き起こして、少し言い回しなどを修正してからアップしていた。
今の私です、と言う感じでエイヤっと。
 
それが今は出来ないでいる。
自分の中にある事すらも、本当なのかどうか疑わしくなっている。
 
そもそも何故言葉にして人に伝えようとしているのだろう。
何をしようとしているのだろう。
 
言葉の中に自らの何かの企みが見え隠れした途端、出せなくなる。
 
人がこれを読んでどう思うのか、悪い影響を与えるとか、良い影響を与えるとか、そんな事考えてる時点で嘘だらけなのだ。
 
人の話を、そのまま 聞く。
自分の記憶や経験を持ち込まず、まとめず繋げず、スッキリや納得、も横においてそのままとして きく。
 
それができる人は、今の自分をそのまま、おく事が出来るように思う。
 
そしてその人の言葉を聞いた人は、自らの中の動きを経験するのだと思う。
そんな事がおきているのではないだろうか。
 
そんな事を思い巡らせているこの頃です。
3月、春の梶原で。。。
ご縁をお待ち申し上げております。

青木麻由子

 

・・・


 

≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 

 

◆ 日 時 : 2015年3月26日() 13時~16時 毎月第四木曜日

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

◇ 世話人 : 青木麻由子

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13

◇ 参加費 : 500

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子

 

 

 

 

 

 

 

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みなさま


年が明け一ヶ月となりましたね。
新年いかがお過ごしでしょうか。

 

今月の19日には旧正月も明けますね。
感覚的にはようやく年明けが追いついてきた、
みたいな、でも、もうすぐ節分だしみたいな・・
めまぐるしい生活時間と本当の悠かな時間を、
行き来しながら味わっている今日この頃です。

今月は現在梶原ピッコロ保育園で継続的に取り組んでいる、
遊ぼ!きくみるはなすピッコロ縁坐舞台の1年が終わります。

今年もあっという間の一年で、
この、やまの仲間達と最後の時間です。

 

つい先日の活動日に、
『影舞』を、子供たちに見てもらいました。

じーっと透き通る瞳でみつめる子もいれば、
話をしながら横目でチラチラみてたり、
そっぽ向いて楽しそうに何かに興じてたり、
どの子もひとりとして同じ姿で『影舞』を見ていないのです。

 

わたしは、舞台の袖にいたので、
『影舞』をみる子どもの、表情や瞳を見ていました。

 おとなの真剣に向き合う姿を、こども達はどのようにみているのだろうか?

 

自分よがりな見解や結論は急がず、まずはそのまま、こどもたちの声を聞きます。

「きれかった。。」
「カッコよかったー!!」
「泣きそうになっちゃった・・」
おじいちゃんが死んだときお葬式で流れてた歌やって思い出した、おじいちゃんを思い出した」

見ていた子どもたちの方からあふれてくる、ゆたかな位相の景色に、
しばし圧倒されました。

次に、カゲマイを舞ってもらうペアを募集すると、
「やりたい!」「やりたい!」と、
舞台に舞い手たちが、次々とあらわれてきます。

ところが、部屋の片隅で背中を向けて舞台に出てこない女の子がひとり、
そして、その隅っこを、ギーと睨んでいる、仕切り屋の女の子がいました。

舞台にしぶしぶ出てくると、
今度は片隅に居た子がじっと相手をみつめ、
仕切り屋さんの女の子は、相手に背を向けて後ろを向いてしまいました。

ピリピリとした不穏な空気が流れます・・・

結局、ふたりはカゲマイはしませんでした。


周囲の空気にあわせることなく、舞台上では本気で塊り続けていました。

 

意地を張り合っているだけではないことが、ふたりの間合いから伝わってきたので、
最後にふたりを舞台に呼び、
向かいあって坐っていただくことにしました。

部屋の片隅にいた子は、手を床につきお辞儀をする姿勢になり、
もうひとりの女の子は、からだを斜めに向けて、向き合いません。

 

そこで「相手に腹を立てて怒ってるなら、あとで思いっきり喧嘩したらいい!
今は向き合って、お辞儀をしてください。
くぅの言葉を聞いてほしい。
くぅとも、向き合うねん。これが、今日の最後の舞台やで。」

 

すると、ふたりは向き合いお辞儀をしました。

 

部屋の片隅にいた子が、先に膝を立て手を差し出し、
もうひとりの女の子は、どこかを睨んで凄い様相で考え込んでいました。

 

すると、さっと手を出し、目の前の手にふれたのです。

 

さっきまでの睨む表情とは一変し、惹きつける笑顔で動き始めました。
息を飲んで舞台のふたりの様子を見ていた皆にも満面の笑顔をまいて、
一見楽しそうです。

ところが、
部屋の片隅にいた方の女の子は、
笑顔は見せずじっと相手とふれている一点に向かっています。

彼女のお辞儀は、相手に屈したお辞儀ではなく、
相手に向かう礼儀であったことがわかりました。
影舞が終わったあとの彼女の笑顔が、いまも忘れられません。

「喧嘩したらアカンってくぅは言わへん。
思いっきり喧嘩したらいい。
おさえたらあかんで。
仲直りなんか無理にせんでいいから思いっきりやり。」

 

こどもたちに向かって、そう伝えてこの日は場を閉じました。

今月はいよいよ今年最後の活動です。

最初も最後もいちどきりです。
最後があるから、
見えないからだとなってずっと内側に脈々といき続けるのでは、ないでしょうか。

部屋の片隅にた女の子の内側にずっといきている、おじいちゃんの面影のように・・


今月の『梶原相聞円坐 ~ 露(いのち)の円坐』は、2月26日(木)です。

よかったらご一緒に、
大阪の北のさいはて梶原にて円になって坐りませんか。
ご縁をお待ち申しあげます。


松岡弘子


・・・


カチンと来たらあかん。
怒りを持ったらあかん。
私はバカだからわからない。
賢い人達の考えにはついていけない。
綺麗にまとめないといけない。
良い話しなあかん。
良い話書かなあかん。
 
時々私の中のこんな言葉たちが騒ぎ出して、私は私の中から自然に出てくる動きを止めて来ました。
時々言いたい言葉を飲み込み、耳に蓋をし、きちんと向き合って考える前にどう見えるかにどう聞こえるかに支配されて動いていました。
こんな感じにしといたら良いか、とチャチャっと器用にこなしているつもりでした。
 
最近、円坐にすわって、真剣に自分に、人に向き合ってみる事をするに従って、どんどんと自信が無くなっていき、自分が何者なのか、何をしようとしているのかがわからなくなって来ました。
 
「自信が無い事に自信を持っているように見える」と言う友人の言葉が胸に突き刺さりました。
でも痛いと言う事を隠しました。
 
カチンとくる事が、怒りを持つ事が悪いと何処かで言ってます。
そうしてなんでも無い振りをして、涼しげな顔で私は会話を続けます。
本当は引っかかっていて傷ついています。その事を打ち明けたら何かが壊れると思っているのだろうか。格好悪いと思っているのだろうか。
何を壊したく無いのだろうか。
本当の事が言えない間柄だったのだろうか。
ぐるぐるぐるぐる悪循環になっていきます。
 
今まで確立していたと思っていた自分が音を立てて崩壊していきます。
 
そしてその崩壊を止めようと最後のあがきで言いたい言葉を飲み込みます。
飲み込むと吐き気がして来ます。
 
最後まで崩壊を見送ってみたら、一体中から何が出てくるのだろうか。
おえっと吐いてみるとどんな気持ちになるのだろうか。
そんな事がちょっとみたくなって知りたくなって来たこの頃です。
 
でも又同じようにしちゃうかもしれないのです。
 
そして又円坐にすわります。
2月、冬の円坐。
ご一緒しましょう。。。
 
青木麻由子


≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 ≫    

◆ 日 時 : 2015年2月26日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

◇ 世話人 : 青木麻由子

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

◇ 参加費 : 500円

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/


さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子 

 

 

 

 

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みなさま


年が明け一ヶ月となりましたね。
新年いかがお過ごしでしょうか。

 

今月の19日には旧正月も明けますね。
感覚的にはようやく年明けが追いついてきた、
みたいな、でも、もうすぐ節分だしみたいな・・
めまぐるしい生活時間と本当の悠かな時間を、
行き来しながら味わっている今日この頃です。

今月は現在梶原ピッコロ保育園で継続的に取り組んでいる、
遊ぼ!きくみるはなすピッコロ縁坐舞台の1年が終わります。

今年もあっという間の一年で、
この、やまの仲間達と最後の時間です。

 

つい先日の活動日に、
『影舞』を、子供たちに見てもらいました。

じーっと透き通る瞳でみつめる子もいれば、
話をしながら横目でチラチラみてたり、
そっぽ向いて楽しそうに何かに興じてたり、
どの子もひとりとして同じ姿で『影舞』を見ていないのです。

 

わたしは、舞台の袖にいたので、
『影舞』をみる子どもの、表情や瞳を見ていました。

 おとなの真剣に向き合う姿を、こども達はどのようにみているのだろうか?

 

自分よがりな見解や結論は急がず、まずはそのまま、こどもたちの声を聞きます。

「きれかった。。」
「カッコよかったー!!」
「泣きそうになっちゃった・・」
おじいちゃんが死んだときお葬式で流れてた歌やって思い出した、おじいちゃんを思い出した」

見ていた子どもたちの方からあふれてくる、ゆたかな位相の景色に、
しばし圧倒されました。

次に、カゲマイを舞ってもらうペアを募集すると、
「やりたい!」「やりたい!」と、
舞台に舞い手たちが、次々とあらわれてきます。

ところが、部屋の片隅で背中を向けて舞台に出てこない女の子がひとり、
そして、その隅っこを、ギーと睨んでいる、仕切り屋の女の子がいました。

舞台にしぶしぶ出てくると、
今度は片隅に居た子がじっと相手をみつめ、
仕切り屋さんの女の子は、相手に背を向けて後ろを向いてしまいました。

ピリピリとした不穏な空気が流れます・・・

結局、ふたりはカゲマイはしませんでした。


周囲の空気にあわせることなく、舞台上では本気で塊り続けていました。

 

意地を張り合っているだけではないことが、ふたりの間合いから伝わってきたので、
最後にふたりを舞台に呼び、
向かいあって坐っていただくことにしました。

部屋の片隅にいた子は、手を床につきお辞儀をする姿勢になり、
もうひとりの女の子は、からだを斜めに向けて、向き合いません。

 

そこで「相手に腹を立てて怒ってるなら、あとで思いっきり喧嘩したらいい!
今は向き合って、お辞儀をしてください。
くぅの言葉を聞いてほしい。
くぅとも、向き合うねん。これが、今日の最後の舞台やで。」

 

すると、ふたりは向き合いお辞儀をしました。

 

部屋の片隅にいた子が、先に膝を立て手を差し出し、
もうひとりの女の子は、どこかを睨んで凄い様相で考え込んでいました。

 

すると、さっと手を出し、目の前の手にふれたのです。

 

さっきまでの睨む表情とは一変し、惹きつける笑顔で動き始めました。
息を飲んで舞台のふたりの様子を見ていた皆にも満面の笑顔をまいて、
一見楽しそうです。

ところが、
部屋の片隅にいた方の女の子は、
笑顔は見せずじっと相手とふれている一点に向かっています。

彼女のお辞儀は、相手に屈したお辞儀ではなく、
相手に向かう礼儀であったことがわかりました。
影舞が終わったあとの彼女の笑顔が、いまも忘れられません。

「喧嘩したらアカンってくぅは言わへん。
思いっきり喧嘩したらいい。
おさえたらあかんで。
仲直りなんか無理にせんでいいから思いっきりやり。」

 

こどもたちに向かって、そう伝えてこの日は場を閉じました。

今月はいよいよ今年最後の活動です。

最初も最後もいちどきりです。
最後があるから、
見えないからだとなってずっと内側に脈々といき続けるのでは、ないでしょうか。

部屋の片隅にた女の子の内側にずっといきている、おじいちゃんの面影のように・・


今月の『梶原相聞円坐 ~ 露(いのち)の円坐』は、2月26日(木)です。

よかったらご一緒に、
大阪の北のさいはて梶原にて円になって坐りませんか。
ご縁をお待ち申しあげます。


松岡弘子


・・・


カチンと来たらあかん。
怒りを持ったらあかん。
私はバカだからわからない。
賢い人達の考えにはついていけない。
綺麗にまとめないといけない。
良い話しなあかん。
良い話書かなあかん。
 
時々私の中のこんな言葉たちが騒ぎ出して、私は私の中から自然に出てくる動きを止めて来ました。
時々言いたい言葉を飲み込み、耳に蓋をし、きちんと向き合って考える前にどう見えるかにどう聞こえるかに支配されて動いていました。
こんな感じにしといたら良いか、とチャチャっと器用にこなしているつもりでした。
 
最近、円坐にすわって、真剣に自分に、人に向き合ってみる事をするに従って、どんどんと自信が無くなっていき、自分が何者なのか、何をしようとしているのかがわからなくなって来ました。
 
「自信が無い事に自信を持っているように見える」と言う友人の言葉が胸に突き刺さりました。
でも痛いと言う事を隠しました。
 
カチンとくる事が、怒りを持つ事が悪いと何処かで言ってます。
そうしてなんでも無い振りをして、涼しげな顔で私は会話を続けます。
本当は引っかかっていて傷ついています。その事を打ち明けたら何かが壊れると思っているのだろうか。格好悪いと思っているのだろうか。
何を壊したく無いのだろうか。
本当の事が言えない間柄だったのだろうか。
ぐるぐるぐるぐる悪循環になっていきます。
 
今まで確立していたと思っていた自分が音を立てて崩壊していきます。
 
そしてその崩壊を止めようと最後のあがきで言いたい言葉を飲み込みます。
飲み込むと吐き気がして来ます。
 
最後まで崩壊を見送ってみたら、一体中から何が出てくるのだろうか。
おえっと吐いてみるとどんな気持ちになるのだろうか。
そんな事がちょっとみたくなって知りたくなって来たこの頃です。
 
でも又同じようにしちゃうかもしれないのです。
 
そして又円坐にすわります。
2月、冬の円坐。
ご一緒しましょう。。。
 
青木麻由子


≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐2015 ≫    

◆ 日 時 : 2015年2月26日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

◇ 世話人 : 青木麻由子

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

◇ 参加費 : 500円

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/


さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子 

 

 

 

 

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みなさま


新年のお慶び申し上げます。

橋本久仁彦さんにお越しいただきまして、
2014年の最後は、梶原相聞の杜をひらきました。

はしもとさんをお招きし共に参加した円坐仲間の方と、
互いに見、観た景色を、そのまま正直に交わしあうと、
予期せぬ淵に境涯が露(あらわ)になってまいりました。

ご一緒いただきまして、本当にありがとうございました。

来週1月22日に高槻梶原にて円坐をひらきます。
ご本人の意思により守人は青木麻由子さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。

わたしは、この言葉を今年の最初の言葉の結びとしたいとおもいます。

ひとの、息づかいと言葉に、
耳をすまし、そのまま辿る相聞は、
真剣に息を引き取り、引き取ってもらう、
究極の対話なのでしょう。
一息成仏。

ご一緒できますご縁をお待ちしています。

松岡弘子


 ・・・


キリッと冷たい空気の1月、今年初めの梶原相聞円坐のご案内です。

今年で9年目にはいるのでしょうか?

くぅと共に梶原にある たけのこ文庫に腰を降ろし、エンカウンターグループがらスタートして  今では相聞円坐と名を変えて…気づけばこんなにも月日が流れてきています。

これ、もし仕事だったとしたら、もう良い加減仕事内容にも慣れてベテランの域に達している頃ではないでしょうか?
はいはい、これね、これはこうよ~なんて後輩の指導なんかしたりして(笑)

なのに、何ということでしょう!
坐れば坐るほど、新鮮さが増して来ます。
坐を共にする人も自分も、どんどん新鮮に感じる。
もちろん くぅとの関係も。
不思議です。


もう知っていると言う概念や普段の役割を一旦横において、ただの私として坐るからでしょうか。
いつもピリリと緊張感を持って、真剣に坐ります。

そう言うことを重ねれば重ねるほど、未知の世界が現れてくる。
円坐は私にとってそんな不思議な営みです。

この度は私 青木麻由子が円坐守人をさせていただきます。
皆様との一期一会。
楽しみにお待ち申し上げております。

青木麻由子



≪ 露(いのち)の円坐 梶原相聞円坐 2015 ≫     

◆ 日 時 : 2015年1月22日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日 

◇ 相聞円坐守人 :  青木麻由子   

◇ 世話人 :  松岡弘子 

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

◇ 参加費 : 500円

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/   

 
さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子 

 

 

 

 

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2014年12月 ≪ 甲午師走 梶原相聞の杜(ミニカウンセリング) ≫ の ご案内です。

 

 


各位。

「師走」の言葉でご案内をする季節がまた巡って参りました。

僕は、12月25日に大阪・高槻市に参ります。

坐の主催は、長年、即興劇団まざぁりぃふを率い、
現在開講中の石切円坐守人研鑽クラスでも、切磋琢磨を続けておられるお二人です。

それぞれお子さんを育てている最中のお母さんでもありますが、
「母親」が、真剣にひとつの道を歩むと決意したその姿の凄まじさ、力強さ、頼もしさを
僕はまざぁりぃふのお二人や、これまでに出会った「母たち」から教えられ続けております。

今回は、お二人が精魂込めて醸成してこられた「梶原相聞の杜(もり)」というご縁の坐にて
お二人や坐衆の皆様の胸をお借りして、「ミニカン」の逐語作品を拝読させていただきたいと
思います。

よろしければ師走の日の午後を、ご一緒いたしましょう。

               

              趣味はミニカン読書    はしもとくにひこ。

 

 

 


こんにちは。松岡弘子です。



今月の12月25日は、たけのこ文庫で、

橋本久仁彦さんにお越しいただきまして、

相聞の杜( ミニカウンセリング )をひらきます。



ある日のこと、

しらず夕焼け空を見あげると、

誰かに呼ばれているような気がしました。



父といれかわるように、息子がお腹に宿り、

時が経ち、息子と一緒に、梶原へ通う日々。



「お母さん見て、梅干太陽や。お目目が酸っぱいわ」

と、大きな西日に目を潤ませて話す息子の声と姿が、

今も、いつも、新鮮に、いきいきと思い出されます。



幼かった息子の送り迎えの、かけがえのない15分間。



空は、

娘としての、

母としての、わたしでもあって。



大阪と奈良の間に所在する、石切の橋本久仁彦さんの円坐基地にて、

相方の青木麻由子さんと15分間のミニカウンセリングをしました。



「15分間、よろしくお願いします。」



真剣に相手に耳をすまし一緒に過ごした(=棲んだ・住んだ)時間と空間。



その音源と15分間をうつし記した作品を、

梶原で、はしもとさんの語る景色とともに、

円坐で存分に味わってみたいとおもいます。



わたしは石切の空を見あげ、

相方と一緒に過ごしました。



今年最後の梶原は、

橋本久仁彦さんの梶原相聞の杜です。




高槻は逢坂と京の都の間に在り、

梶原は西国街道沿いの集落です。



西国街道沿いの古民家たけのこ文庫にて、

ご一緒できますご縁をお待ちしています。




松岡弘子




・・・・・・・




たとえば、今から15分間はあなたのお時間です。
ご自由にお話したりお過ごし下さい。
と言われて、さらにほったらかされるのではなく、ピタ〜っと横について ただ聞いてくれる人がいたら。



否定も肯定も質問も意見も入れずただただ聞いてくれるとしたら。



この15分間に私の中からいったい何が出て来るのだろう。



聞いてくれている人に何かを伝えるために話すのではなくて、説明するために話すのでもなくて、自分の中に「ある」世界が時間をかけて言葉になって出てくる様子を、聞いてくれている人と一緒に ただ待っていると。
さっきまで「ない」と思っていた物が、今この瞬間影を落とすように立ち現われ、その輪郭を丁寧になぞってみる。
それを一緒になぞるように聞いてくれている。


この時間は…。



そこにどんな世界が立ち現われて来るのか。



相聞の杜で、探求してみませんか?
今年最後のピッコロふりぃすぺーすです。
ご一緒できるご縁を楽しみにお待ちしております。


青木麻由子



・・・・・・・



≪ 甲午師走 梶原相聞の杜 ≫    


 

◆ 日 時 : 2014年12月25日(木) 13時~16時     

 

◇ 相聞の杜 守人 : 橋本久仁彦さん http://enzabutai.com/   

 

◇ 相聞の杜 作品 : 松岡弘子・青木麻由子       

 

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

 

◇ 参加費 : 3500円

 

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

 

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 



   

 

さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 
 
2014年11月 ≪ 露(いのち)の円坐 甲午霜月 梶原相聞円坐 ≫  ご案内です。
 
みなさま

こんにちは。松岡弘子です。


秋も深まり、暦ではもう冬なんですね。

草花は朝露を結び、どんぐりや椎の実は枝から外れて、
ころころ、ころころ転がりながら、地面に根をおろします。


梶原に所在するちいさな保育園で毎月一時間、
きくみるはなす縁坐舞台の位相にふれながら・・
こども達と一緒に身一つで場づくりをしています。

昨日はその活動日で、近くの神社へ出かけました。

手をつないだ男の子が、「くぅはお父さんいるの?」
と、きくので、「死んで、お空にいったよ」と答えると、
いつもやんちゃな彼は澄んだ瞳でわたしをみつめ、
やがて、手をつないでいっしょに空をみあげました。

「え・・宇宙に行ったの?」と聞く別の子に、
「違う。お空にいった」と、応えた彼の声が、
いまも、からだに、鮮明に、残っています。

今年の命日は誰とも話すことなく過ぎてしまいましたが、
やさしくふれるぬくもりが、ずっといまも内側にあります。


すぐそばの柿の木と一緒に、
新しい秋の風景となりました。


さて今月27日は、【露(いのち)の円坐】をひらきます。
ご一緒できますご縁を楽しみに、お待ちしています!


松岡弘子


 ・・・


みなさまこんにちは
青木麻由子です

梶原相聞円坐に先月10月は守人(もりびと)として坐らせていただきました。

 円坐にすわると、そこの場を共にしている人と
「本当の意味で出会う」 と思います。
 普段も話したり、笑いあったり色々していて顔を合わせていたとしても、あの場にすわると
「本当の意味で出会った」
と思います。

その相手と出会う距離感は、自分と出会う距離感にも繋がり、時には目をそらせたくなったり逃げたくなったりもします。

でもその瞬間の出来事は、体の中に染み込み、アメーバのように動きまわったり、ストーンとまっすぐ落ちてきたり、しっかりみていた物も目をそらせた物も全て残らず染み込んでいます。

そしてそこから又歩き出す。

 守人をさせていただいて、何時もとは違う視界からその様な景色が
見えてきました。

 当たり前ではなく起きて来る場。

 又今月も坐れる、出会える 場 は一度きりです。
そして又そこから歩きだします。

ご一緒できるご縁を有難く楽しみにしています。

 青木麻由子


 ・・・


≪ 露(いのち)の円坐 甲午霜月 梶原相聞円坐 ≫    

 

◆ 日 時 : 2014年11月27日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

 

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子    

 

◇ 世話人 : 青木麻由子    

 

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

 

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13

 

◇ 参加費 : 500円

 

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

 

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

  


   

 

さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子


 

 

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2014年10月 ≪ 秋 甲午神無月 梶原相聞円坐 ≫  ご案内です


九月のお彼岸の梶原相聞円坐には、

この場にいないひとたちも、たくさんやって来られました。

 

それはこの場に居てくださった方々のご縁と申しましょうか、

いないから、さびしい、かなしい・・など喪失感からではなく、

そのひと達の面影は灯火のように、

かそけく揺らぐように存在していて、

内側からわたしたちひとりひとりを照らし、

すぐそばにいるような、気配をずっと、肌で感じていました。

 

『相聞円坐』は、まさしく、そんなひとりひとりの身のうちが、

場所と呼応し始め、

内が外にひっくり返ったかのように土着し始めます。

 

秋の宵のねこじゃらしと川の景色に、彼岸を見ながら、

大事なひとや、仲間や、家族のことを想っていました。

 

 

相聞のご縁、まことにありがとうございました。

 

 

秋の梶原相聞円坐は10月23日木曜日です。

青木麻由子さんが守人をつとめさせていただきます。   

 

ご縁ある方と梶原の小さな庵の円坐にて、    

ご一緒させていただきたいとおもいます。

 

 

わたしは・・・父の命日なので、参加者のひとりとして、

内側の等身の声に耳を澄ませてみたいとおもいます。    

 

     
この日を今から楽しみに、お待ちもうしあげております。         

 

 

松岡弘子   

 

          

・・・     

       

 

こんにちは。青木麻由子です。

 
10月の相聞円坐は私が守人をつとめさせていただきます。
 
世話人(参加者)でいる事と、円坐守人でいる事とは私の中では全くの別世界です。
 
こんなにも同じ場所で別世界があるものなのかと、驚きました。
 
普段の生活での時間と、円坐での時間はこれまた別世界。
 
この世界観は実際にあるのでしょうか。
きっと無いのだろうなあと思います。
 
自分がぐるぐるぐるぐる向きを変え、色んな事をおもい、諦め、惑い、期待し、喜び、哀しみ…。
 
きっと実際にはなくて。
 
でも自分の中では、紛れもなく真実で。
 
それをそのままおける場所。
 
秋の円坐をご一緒出来るご縁を楽しみにしています。 
坐りましょう。。。
 
 
青木麻由子
 

 

 

≪ 秋 甲午神無月 梶原相聞円坐 ≫

 

◆ 日 時 : 2014年10月23日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

 

◇ 相聞円坐守人 : 青木麻由子    

 

◇ 世話人 : 松岡弘子    

 

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

 

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13

 

◇ 参加費 : 500円

 

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

 

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子

 

 

 

 

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2014年 9月  ≪ おもかげでせうか 甲午長月 梶原相聞円坐 ≫  ご案内です

 

 

みなさま


こんにちは。松岡弘子です。

甲午長月 梶原相聞円坐のご案内です。

このたび、おかげさまでお盆を迎えまして、

梶原相聞円坐はまた新しい年を迎えました。

 


いままでの時間は、たっぷりゆっくりでもあり、

また違う尺では、あっという間の時間でもあり・・

時間の感覚は尺によって如何様にも変化(へんげ)するのですが、

ただ毎月、時間と場所を結界することによって刻まれた、

梶原での「場」は、たしかに内の世界にはずっとあって。

 


知らず知らず、この場を棲みかとして、

毎月のご案内を、それぞれの言葉でしたためています。

 


そんなわたしたちもお盆を迎え、

梶原相聞円坐と共に歳を重ねているのです・・

どうやらそうみたいです。いま、気づきました。

 


いったいわたしたちの関係性に、

なにが、起きているのでしょうか。

 


この夏はわたしにとってとても大きな節目で、

いったい、なにがわたしに起こっているのか、

自分ひとりでは曰く言い難いような景色ではあるのですが、

「自分」というものは、じつは、なんにもなくて、

わたしという島をとりまく海がわたしの本体で、

潮と潮がぶつかりあうところにエネルギーがうまれ渦(うず)となり、

あらたな潮の流れがぐんぐんうまれてきている、そんな今の景色です。

 


梶原は淀川で大風のため梶(=舵)が折れ帆も失ってしまうほどで、
帆無梶折邑(ホナシカジオリムラ)と呼ばれるようになった土地です。

 


ご縁ある方と梶原の小さな庵の円坐にて、

ご一緒させていただきたいと、おもいます。

 


こころよりお待ちもうしあげます。

 

 

 

松岡弘子

 

 

 

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 ≪長月(9月) 梶原相聞円坐 ≫

のご案内です。

 

8月は夏休みをいただき、次の円坐は9月となります。

 

みなさまお健やかにお過ごしでしょうか。

 

気象が激しく唸りをあげています。

 

 

落ち着かない日々を過ごしています。

何だかここ最近ソワソワしています。

 

お尻の下がモゾモゾしていて、重い荷物を載せたカゴを頭に載せて運んでいるみたいです。

 

たっぷり深呼吸をしてゆっくり前をみて歩いても、すぐにこの感覚は襲ってきます。

 

  これは私個人の身体の症状ではなく、きっと今存在している地球からの共鳴反応なのではないかと思います。

 

だからこそ、上滑りな事は出来ないなと思います。

 

ただ単に表面的な体裁、お金、プライド、目先の事の為に動けないなと思います。

 

ソワソワ、モゾモゾ、重苦しい何か、をちゃんと感じて、受け取って、じゃあ私は何をするのか。

 

そんな風にちょっとずつ動き始めてみようとしている今日この頃です。

 

今、次の季節を元気に生きれる事が分からず不安な時代だとおもいます。

 

だからこそ大事に大事に、やって行きたいなと思います。

 

円坐は自身のそういうところにアクセスする貴重な時間になっています。

 

9月の円坐でご一緒出来るご縁を有難く楽しみに願います。

 

 

青木麻由子。。。

 

 

 

 

≪ おもかげでせうか 甲午長月 梶原相聞円坐 ≫

 

◆ 日 時 : 2014年9月25日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

 

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

 

◇ 世話人 : 青木麻由子

 

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

 

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

 

◇ 参加費 : 500円

 

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

 

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子

 

 

 

 

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  2014年 7月  ≪ 初蝉時雨 甲午文月 梶原相聞円坐 ≫  ご案内です

 

 

みなさま

 

こんばんは。今夜は蒸し暑いですね!

七月の梶原相聞円坐 のご案内です。

 

 

昨日の七夕から一匹の蝉が鳴き始めました。

 

蝉の声を聞くと、

赤ちゃんに、呼ばれているような、

これは記憶なのか、思い出なのか、反応なのか・・

正確には区別がつかないのですが、確かに、わたしのなかに刻まれています。

 

朝から蝉がものすごく鳴いていたある日、

真夏の大暑の宵に男の子が生まれました。

 

赤ちゃんの声と蝉の声は、

周波数が似ているのでしょうか。

そんなことはないかもしれませんが、

愛しくも、切なく、胸が痛むような、かすかな響きで、

おもわず姿をさがすような、感じがよみがえってきました。

 

産声が聞こえた瞬間、

初めての出合いでもあり同時に、

 

最初の別れの瞬間でもありました。

 

 

 

 

 

そういえば、

わたしのうまれた日は、

お盆で終戦記念日でもありますが・・

父母のふるさとでは、阿波踊りの最終日でした。

 

わたしの産声も・・

わたしの声を聞いたひとの中に、

刻まれているのでしょうか。

 

うまれた瞬間、

正と死の最初のはじまりの息をふるわせて以来、

わたしも旅の途中です。

 

 

≪ 初蝉時雨 甲午文月 梶原相聞円坐 ≫ よかったら、ご一緒しませんか。真夏の梶原にて、お待ちしています!

 

 

松岡弘子

 

 

 ・・・

 

 

≪ 文月 梶原相聞円坐 ≫

のご案内です。

 

我が家の玄関通路横の紫陽花とハーブがが、両脇から勢いよく伸びて道を塞ぎ、雨の日には通るだけで荷物ごとびしょ濡れになります。

最小限の濡れで通り過ぎようとあたふたとしていると、ヤブ蚊や蜘蛛の巣が襲ってきます。

 

この仕打ちに苛立ちを抑えきれない思春期の娘は、ただいまより先に非難轟々怒りを母親にぶつけます。母親にすれば思いもよらぬ仕打ちです。

 

いや、実は思いも寄らない事はなく、数時間前に通った時に同じ思いをしたので、後で葉っぱを切ろうと思いながら、お昼ご飯の準備をしていて忘れていた事は横に置いて、怒る娘の言動に対して更なる怒りをぶつけ返します。

 

娘はプンプン怒りながらハサミを持って外に出ます。

 

 

 

家庭内に不穏な空気が流れるまま、土曜日の午後はすぎて行きます。

 

 

娘は無言で又出かけて行き、母親は自分の言動に反省モード。

 

イライラ怒りが込み上げる時は相手の事だと疑いもしないけれど、キーワードをきっかけに、自家発電しているのですね。そして見事に同化する。

 

私はカメレオン。あなたもカメレオン。

 

単細胞生物であり 人であり 宇宙…。

 

次にあった時にはどんな風に動き変化して行くのかは全く予想出来ません。

 

だから面白いですね。

 

6月の梶原相聞円坐は、蒸し暑い空気から、突然の大雨。窓から見える景色が方角に寄って様々で別々の絵画のようでした。少しすると涼しい空気が入ってきました。この感じを意識とは別の何処かでなんと無く予測して参加したという参加者の方も居ました。不思議ですね。

そして雨は上がり、雨上がりはキラキラと光りました。

 

7月の梶原相聞円坐は、如何な模様が見えるのでしょうか。

 

ご一緒させていただきます。

 

青木麻由子。。。

 

 

 ・・・

 

 

≪初蝉時雨 甲午文月 梶原相聞円坐 ≫

 

◆ 日 時 : 2014年7月24日(木) 13時〜16時 ※毎月第四木曜日

 

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

 

◇ 世話人 : 青木麻由子

 

◇ 場所係 : 荻原ゆかり

 

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

 

◇ 参加費 : 500円

 

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子

 

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

 

さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子

 

 

 

 

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  2014年 6月  ≪ 蛍流 甲午水無月 梶原相聞円坐 ≫  ご案内です

 

 

こんにちは。松岡弘子です。

 

庭や道端は、ドクダミの花盛り。

純白の可憐な花は、紫陽花と同様、

梅雨に日本の何処でも見られる花ですね。 

 

なぜかふと郷愁に似た思いがつのるのは、

きっと変わらず純白な花を咲かせる姿に、

物言わず、耳をすませてみつめる、

まなざしを感じるからでしょうか・・ 

 

高槻の奥地・樫田や成合の川沿いでは、

蛍が舞う季節です。

 

梶原では姫蛍もみられるそうです。

 

梶音に耳をすます織姫様の

化身かも、しれないですね・・

 

梶原相聞円坐のご案内です。 

 

どなたでもどうぞ、

ご一緒できますご縁を、

楽しみにお待ちしています!

 

松岡弘子

 
 
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こんにちは、青木麻由子です。

6月7日、朝。
雨が降ったり止んだり、私は西宮のとある場所の大きな石の上に座っています。

今日は2ヶ月に一度の研修会、一時間間違えて早く来てしましました。
朝は涙ちょちょぎれそうになりながら慌てふためいて用意して家を飛び出して、着いてみるとだ~れもいない…。

暫し、石の上に座ってぼーっと空を眺める。

損をしたのか、得をしたのか。

時間の流れが大きくかわる。

おぉ~~。今居る場所、今居る状態、前をみて焦っていたり、後ろを振り向いて後悔したり。

あっち向いたりこっち向いたり。

ま、えっか!と手足を投げ出してみたり。

そんな自分を、ちょっと離れて指でなぞってみたら、ププっと吹き出し涙が笑に変わってたりして。

梶原の坐でご一緒しましょう。

青木麻由子。。。

 

  
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≪ 蛍流 甲午水無月 梶原相聞円坐 ≫ 

 

 

◆ 日 時 : 2014年6月26日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日 

 

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子 

 

◇ 世話人 : 青木麻由子   

 

◇ 場所係 : 荻原ゆかり   

 

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13) 

 

◇ 参加費 : 500円 

 

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木麻由子 

 

◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/

 

 

 


さいごまで読んでいただきましてありがとうございます。 松岡弘子・青木麻由子

        

 

 

 

 

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  2014年 5月  ≪ 山の藤 甲午皐月 梶原相聞円坐 ≫  ご案内です

 

 

5月相聞円坐のご案内です。
 
雨上がり、ちょっと肌寒い半分雲の朝です。
 
私の家は山の上のほうにあるので、帯のような名神高速道路にミニカーくらいの車がつらつらと走っているのが見下ろせます。
 
今日の様な曇りの日は、遠くの景色が靄の中に消えて行きます。
 
ミニカー大の車の列も、靄の中に消えて行きます。
 
近くでは、鳥の声、布団を叩く音、少し遠くでは犬の鳴き声、もっと遠くでは子どもの鳴き声か笑い声か?もっともっと遠くでは、カラスの声、ずーーっと遠くでは、ゴーーーっと言う車やヘリコプターや工場やらの混ざった音。
その、どれもに風の音がミックスされて、全てが自然です。
 
5月、色んな匂いや音や色や気温のオーケストラの中、皆様と坐を共にしたいと思います。
 
ご縁を楽しみにしています。
 
 
青木まゆこ。。。
 
 
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みなさま
 
こんにちは。
新緑の季節となり、タケノコはちょうど旬ですね。
 
先日山で、山桜の花びら舞うなかふと見あげると、
いつの間にか山藤が淡い海のように咲いていました。
 
おもいがけず、
藤の花の波景色に、思い出がよみがえり、
いまの私があらたに昔のことを見て問い直すような、
時間がとまったような、懐かしく新鮮な体験をしました。
 
わたしにとって藤の字は小さい頃手習いで苦労し覚え、
慣れ親しんだ、名字の一番はじめの「字」でありました。
 
その藤が、
一瞬にして、豊かな味わいとともに、
新鮮な「言葉」となった山での時間でした。
 
山の「ヤ」は重なり積れること、
「マ」は限り隔たりぬること・間のことだそうで、
ひとも仕切られた多相な空間であり、
人間は人と人の間つまり場所だと仮定するなら、
結界し円くひとが坐る、それだけで、
すごいエネルギーがうまれるのも腑に落ちます。
 
さらに、円坐における相聞の位相では、
人と人の「間」からうまれてくる「言葉(言霊)」で、
深く無媒介にあらゆる関係を切り結べる事・場がうまれるのは、
言葉をそのまま丁寧に器や床の間に置くひとがいるからではないしょうか。
いまの私にとって相聞円坐をひらくなかで深化中のとても大事な問いです。
 
五月の梶原相聞円坐は、
5月22日(木)13時~16時、たけのこ文庫にてひらきます。 
よかったらどなたでも足をお運びください。
 
円く坐れますご縁、
ほんとうにありがたく、
お待ちもうしあげます。
 
 
松岡弘子
 
 
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 ≪ 山の藤 甲午皐月 梶原相聞円坐 ≫ 
 
 
◆ 日 時 : 2014年5月22日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日 
 
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子 
 
◇ 世話人 : 青木まゆこ   
 
◇ 場所係 : 荻原ゆかり   
 
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13) 
 
◇ 参加費 : 500円 
 
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木まゆこ 
 
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
 
  
 
  
 
  さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。   松岡弘子・青木麻由子
    

 

 

 

 

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2014年 4月 ≪ みをつくし 甲午卯月 梶原相聞円坐 ≫ の ご案内です。

 

 

 

みなさま

 

こんにちは。
梶原相聞円坐のご案内です。
 
河原の土手を、
流れるような遠景の桜は、
川面に映える近景の桜を引き立てています。
 
遠景の桜と近景の桜は、
まるで、影かたちに添うように・・
わかつことのない一つの風景をつくります。
 
どんな死にも生にも尊厳があるように、
死も生も内包し二つにわかつことない、
ただそのままそこに在る桜の佇まいは、
必死に生きるわたしたちありさまや、
味わい深い風景をそのまま際立たせる
影働きに似た場と構造が、
あるような気がして、
日々刻々と移り変わる春の景色を味わっています。
 
桜の木の佇まいのように、
ただ聞くという無垢な結界性と、 
世界を二分しない深い位相と圧の場に、
身を置いて、相聞く覚悟を持ちたいと、
切に願っています。
 
 
荘厳な古門に、
凛とより添う桜の佇まいは、
いまもまぶたに焼きついて、
目をとじるとあらわれてきます。
 
 
さて今月の梶原相聞円坐は、
桜の花散りし頃ひらきます。
 
どなたでもどうぞ、
ご縁をお待ちしています。
 
松岡弘子
 
 
・・・・
 
 
みなさま
 
桜の花びらと、花粉の舞うこの頃です。
 
身体も頭も ソワソワ モゾモゾ。
首も腰もくにゃくにゃもわもわ。
 
春ですねえ。
 
予防医学を伝える仕事上、花粉症や腰痛になる原因や予防、改善策など色々と勉強させてもらい、引き出しに整理してしまったりしておりますが、そんなふうになる症状や身体の変化なんかを見ていると、あぁ…人間は自然なんだったなあ。
と、ふと気づきます。
 
生まれてから、物心がつくかつかないかから、色~んな事を考えたり決めたりしてきて、自分で決めていると思い込んでいて、自然である事をつい うっかり忘れてしまいます。
 
起こる事は自分で決めているんじゃないかもしれない。
 
たけのこ文庫で、和になってすわって、よく そうかもしれないなと言う風景に出くわします。
 
新しい芽吹きの季節、どんな場になって行くのか、それは来てからのお楽しみです。
 
ご一緒出来る事ご縁、いつも本当にありがたいです。
 
青木まゆこ
 
 
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≪ みをつくし 甲午卯月 梶原相聞円坐 ≫ 
 
 
 
◆ 日 時 : 2014年4月24日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日 
 
◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子 
 
◇ 世話人 : 青木まゆこ   
 
◇ 場所係 : 荻原ゆかり   
 
◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13) 
 
◇ 参加費 : 500円 
 
◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木まゆこ 
 
◇ ウェブサイト : 梶原相聞円坐 http://kajiwara-soumonenza.jimdo.com/
 
  
 
  
 
  さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。   松岡弘子・青木麻由子 

 

 

 

 

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  2014年 3月 ≪ おとづれ 甲午弥生 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です

 

 

みなさま

 

こんにちは。

今月27日木曜日は、
地元の絵本文庫での小さな相聞円坐です。
春の萌しに、長い寒い冬も、もうすぐ明けそうですね。
 
たけのこ文庫はとても冷えます。
だからでしょうか・・
 
ストーブやカーペットや毛布の暖をわけあって、
あたたかい飲み物や、さしいれの美味しいものをいただきながら、

 

静寂のなかにあらわれてくる、音や声や言葉のおとづれと、
ただ、そのまま沁み沁み過ごす相聞空間は、
味わい深くて。  

 

ありがたいです。。

 
 

さて今月の梶原相聞円坐は、

 

耳をすますと・・

 

どんな音や言葉、
そしてどんな人や場が、
聞こえあらわれてくるのでしょうか・・ 


 

相聞の円空間、
ご縁の円坐をご一緒しませんか
どなたでもどうぞお待ちしています 
 

 

松岡弘子
 

 

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こんにちは。
今日は3月7日金曜日です。
何日か前から又雪が舞いはじめています。
パチパチと屋根に当たる粒雪の音と、
チキチキとやかんが唄う音が聞こえています。
石油ストーブの真ん前で胡座をくんでいる夕暮れ時。
 
さっきまで外で土をいじっていたので手足の先はジンジンとまだ冷たく、
火に近寄って頬は火照っています。
 
外側のスピードと内側のスピード。
 
きっと外側ではずっとおんなじように流れているのに、
内側の私は 急いだり、焦ったり、戻ってきたり、深呼吸したり、眠くなったり。
巡りゆく内側から見えるその時だけの生の風景を、
同じ時間、同じ場所で味わい、ききあいたいです。
 
ご縁を心待ちにしています。
 
青木まゆこ
 
 

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 ≪ おとづれ 甲午弥生 梶原相聞円坐 ≫


◆ 日 時 : 2014年3月27日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

◇ 世話人 : 青木まゆこ  

◇ 場所係 : 荻原ゆかり  

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

◇ 参加費 : 500円

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木まゆこ

 

 

  さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。   松岡弘子・青木麻由子

 

 

 

 

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  2014年 2月 ≪ 春節 甲午如月 梶原相聞円坐 ≫ ご案内です

 

 

みなさま

 

こんにちは。

 

先週訪れた長崎の中島川には、
春節祭の準備にランタンが色鮮やかにつるされ、
川面に陽も影もせせらぎ春の兆しを感じました。

 

今回の長崎相聞円坐に参加し、
長崎に出会い、
地元で相聞円坐をひらく大事なエネルギーも、
たくさん受け取ったような気がしています。

 

旧正月も明けまして、今月27日木曜日は、
地元の絵本文庫での小さな相聞円坐です。

 

耳をすませば・・

どんな音や言葉、
そしてどんな人や場が、
聞こえあらわれてくるのでしょうか・・

 

相聞の円空間、
ご縁の円坐をご一緒しませんか

どなたでもどうぞお待ちしています

 

 

松岡弘子

 

 

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こんばんは、寒い夜です。
夕飯の後片付けを終え、割烹着を着たまま、やかんがチキチキとなるストーブの前に座ってホッと一息。
火のそばに来ると、途端に親密な感じになるのが好きです。この親密な感じがあるからこそ夏は解放的になれるのでしょうか?
さてさて、たけのこ文庫でも温かい飲み物を片手に寄り合い、この時期ならではのこの親密な感じをご一緒しませんか? 
 
その時々のご縁がとてもありがたく、ストーブの前の割烹着おばさんは、焼酎片手にじんわりと楽しみにしています。
 
 
青木麻由子

 

 

 ≪ 春節 甲午如月 梶原相聞円坐 ≫


◆ 日 時 : 2014年2月27日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

◇ 世話人 : 青木まゆこ  

◇ 場所係 : 荻原ゆかり  

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

◇ 参加費 : 500円

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木まゆこ

 

 

  さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。   松岡弘子・青木麻由子

 

 

 

 

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  2014年 1月 ≪ 新春 甲午睦月 梶原相聞円坐 ≫  ご案内です

 

 

みなさま

 

新年あけましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりありがとうございました。


昨年で梶原円坐(非構成的エンカウンターグループ)は、
いままでおかげ様で、60回開催させていただきました。
円坐一回を人間の歳でかぞえていきますと、還暦です。
ほんとうにありがたいご縁、誠にありがとうございます。


更に昨年はミニカウンセリングの様式を作法としまして、
新たな試みとして、相聞の杜を通年開催いたしました。
聞く、聞こえる、聞こえてくる、景色を円坐で味わい、
それぞれ瞑目し目を凝らし、冥耳し耳を澄ましました。

幾重の位相が、ゆたかに遠近の景色をうつし出し、
在と無、外と内、始まりと終わり、音と言葉など・・

鬼と畏れられたある歳老いた棟梁の背中に、
味わい深い、枯れた男の色香が漂うように・・

不器用でも、愚直でも、現場で必死で耳と目を凝らすと、
分かつことのできないありとあらゆる現象の心の風景や、
普遍的な風景との対話を味わう豊かな間が現れてきます。

 


いくら自由や平和といった口当たりのいい理念を掲げても・・

人と土と、
この風景、
この風土を離れてしまっては、
民草の魂はうかばれないのでは、ないでしょうか。


今年からは、新たに梶原円坐と相聞の杜を融合しまして、
毎月、第四木曜日に、『梶原相聞円坐』と改め称しまして、
梶原円坐と相聞の杜の経験を活かし更に精進いたします。

いままでの、深きご縁に深謝いたしまして、
新たな歴史の流れに身を置いてまいります。


ご一緒できますご縁をお待ち申し上げます。

 

 

松岡弘子


  ・・・


こんにちは。
初春のお慶びを申し上げます。
2014年が動き始めました。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?

たけのこ文庫に円坐で座りはじめて60回、この間にそれぞれの中で色んなドラマがありましたね。
今年もどんな出会いや経験が出来るのかまったく予測不可能ですが、面白そうな事を見つけたら、出来るだけ寒さに負けず、あれこれ考えず、エイヤーッと外に出て行きたいと思います。

1月からのたけのこ文庫は
「梶原相聞円坐」
と題しまして、更に色んなものに耳を澄ます場を深めてまいりたいと思います。

スピードにのってすぎてゆく日々に、ひと時、深い波をきざむような、そんな時間をご一緒出来たらと思います。

今年もよろしくお願いします。

 


青木麻由子

 

≪ 新春 甲午睦月 梶原相聞円坐 ≫


◆ 日 時 : 2014年1月23日(木) 13時~16時 ※毎月第四木曜日

◇ 相聞円坐守人 : 松岡弘子

◇ 世話人 : 青木まゆこ  

◇ 場所係 : 荻原ゆかり  

◆ 場 所 : たけのこ文庫 (大阪府高槻市梶原1-5-13)

◇ 参加費 : 500円

◇ 申 込 : kajiwara.soumonenza@gmail.com 松岡弘子・青木まゆこ 


  さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。   松岡弘子